2005年04月27日

高度に安全に関わる業務と資質判断


 兵庫県尼崎市におけるJR西日本快速車両の脱線事故について、
 状況の全体像の把握、原因の特定ということについては、まだまだ調査がなされているところであって、限られた情報のみで安易に問題点を指摘することはまだできないものの、そうした現時点において個人的に僕が思うところを少し述べてみたい。

 ところで、原因、問題点といっても、よく分類して考え、それぞれに今後対応策を検討していく必要があるだろう。
 
  1.  脱線事故そのものが起こった理由
      
    •  物理的要因
    •  人的要因

  2.  被害を大きくした理由
      
    •  構造的要因
    •  体制、システム的要因

 進入速度の問題、いわゆる線路敷設面でのいわゆる緩和曲線の問題等といった物理的要因、また車両構造上の事項や、ダイヤ編制、管制体制、あるいは救急体制等といった事項は今日のところは措き、
 今日僕が注目しておきたいのは、脱線事故そのものの理由につながり得るもののうち、人的要因について、中でも特に資質ということについてだ。

 報道各社の反応を見ていると、運転手は「若く」「経験が短い」という点を強調し、運転手の育成体制を問題視する声が大きいように感じる。

 この点、僕は鉄道の業界人ではなく「相場」というものを知らないので、安易にことを断じるわけにはいかないが、業界外の人間が「安易に断じるわけにはいかない」ということは言えると思う。^^)

 私鉄各社との比較では、なるほど運転手の教育課程に入るまでの勤務年数や、教育課程そのものの長さについて、JRでは短いようであるけれども、ただ私鉄他社より短いからJRの体制が不合理に短いと決めつけれるものではない。(僕は、それが妥当な長さであると言っているわけではない。内容に関する理解なくして、外部の人間が判断はなし得まいという意味だ)

 また、経験が「たった11ヶ月」ということを連呼するキャスターもいるが、その11ヶ月の運転経歴を「たったの」と決めつけることも、僕は疑問だ。
 ほぼ毎日運転して1年近くを経てもなお「未熟」であるとする根拠が不明であるし、逆に僕などの感覚では、未熟であるとまでいう期間は過ぎているのではとも思う。
 というのは、未熟というのは、技量及び判断能力について言うべきことであるが、本番の運行を実際に11ヶ月実施してなお身に付かない技量であるとか判断能力などというものは想定し難いのではないか。
 僕の感覚では、一定の技量と判断能力を身につけた先にあるものは、むしろキャラクター的な個人差ではないか。

 あえて暴言を吐かせてもらうと ^^;)、18才でバカは30になっても50になってもバカだ、いや、もう少し気持ちのいい言い方をすると、賢い50才は18の時から賢いものだ、と。つまり、単なる知識の量とかいうことを別にすれば(そしてそれは賢愚ということとは当然別だ)年齢が解決することよりも個人のキャラによるところが大きいのだ、という実感を僕は持っているが、それと同様、既に教育訓練を受け、さらに実戦力として実地の運行を1年近くもやったところでそこにある個人差とは、もはや未熟云々ではなく、個人のキャラと資質の差ではないのかという気もする。

 (「バカ」というのはさすがに乱暴、語弊のきらいもあるので言い直すと、要は、ある一定の年齢以上からは、そこでは賢明さであれセンスであれ、経験の差よりも個人の力量やキャラの差というものが大きく、年長者というだけで年少者より優れているなどということは、ほぼ無い、ということが僕のこの信条の主旨)

 マスコミに押される形で、早速26日からJR西日本は、若い運転手に添乗員を付けるということを始めているが、ちゃんとした運転手にしてみれば鬱陶しいだけの話であって、世間に対応をアピールする以外に、さして何ほどかの安全対策になり得るほどのものでもなかろう。

 そのキャラクター的な個人差というものを、「資質」として、特に安全に関わる業務においてはこれをシビアに判断していく必要があるのではないかと思う。
 言ってしまえばこれが今日僕の言いたいことだ。

 僕が個人的に知る限りでは、最も安全ということに厳格であり、それをも踏まえて要員選抜が厳しい世界というものの一つは、航空機パイロットの世界だ。

 一般によく知られるように、今も昔もパイロットというのは人気の職業のひとつだ。
 それも、単に収入であるとか待遇面での実利的判断というだけの人気職種ではなく、小さな子供が憧れるように、何かそこには純粋な「夢」というものも含まれた人気職種だと言えるだろう。

 人気職種の例に漏れず、選抜の道は非常に狭き門であり、道中も非常に険しい道だ。

 ここで一つ面白い話があるのだが、軍における戦闘機パイロットの選抜ということについての国柄ということを聞いたことがある。
 例えば日米を比較すると、日本というのは、かつての海軍陸軍の頃から今日の航空自衛隊にいたるまで、パイロットはその候補者を選ぶ段階から既に、資質ということを非常に重視する。誤って資質の低い者を採ってしまうよりは、間違ってダイヤの原石を捨ててしまっていても構わない、そうした姿勢に例えられる。
 一方で米軍は、これも大戦時からも伝統的に、採用においては網を大きくかけて、数の中から優れたパイロットが生まれてくれればよいと、例え石が混ざっても、ダイヤの原石が入る可能性が高いよう網を大きくかける、とでも言おうか。

 結果的に、こうしたことも、例えばかつての日本軍パイロットの腕の高さにつながっていたところもあるのだろう(今日の航空自衛隊もその技量は世界的に高い)が、しかし、そうした狙いで考えられた選抜方針というよりは、現実的なやむを得ない事情によるものと思われる。
 旧軍は、日本の経済的、物資的規模からいって、むやみに大量の航空機を装備することはできなかった。限られた虎の子の航空機を最大限に活かすためには、それぞれのパイロットが一騎当千であるべきであって、米軍のように悠長で鷹揚な取り組みをするわけにはいかなかっただろう。

 さて、実はそうした旧軍の伝統は今日の航空自衛隊にも受け継がれており、パイロット候補者として採用された者も、多くが入隊後の1次選抜で振り落とされる。最初のこれは、適正検査と言われ、検査官とともに実際に実機に搭乗して2週間近くにわたって行われるものだ。
 この時点で、適正がないと判断された者はパイロット候補者を免じられ、一般職種へ移籍ということになるが、「P免」と呼ばれるこれらの不合格者は、まさに泣かんばかりの者がたくさんいる。
 もちろん、ここで正式に操縦課程に進んだ者も、その課程の各段階ごとに逐次、免になって(振り落とされて)いくことになる。

 いかにそれが個人の「夢」であろうとも、悲願であろうとも、また審査の判断に不満不服があろうとも、審査機関が動じることはない。チャンスもワンチャンス、航空自衛隊は個人の夢を叶えるためにあるのではなく、なんせ、「間違ってダイヤの原石を捨ててしまって」でも「誤って資質の低い者をとらない」ことを選ぶ。

 しかしこうした姿勢が、パイロットの質を高く保っているのも事実だろう。
 100億もの航空機を一人で操縦し、かつ兵器を扱うという、その任務において「個人」が担う責任の重大性に鑑みれば、僕はこれは正しい選択だと思う。
 たった一人といえども不適切な人材に誤って航空機を任せてしまう危険性に比べれば、一人のダイヤの原石、実はたまたま検査時に体調が悪かっただけの者を見逃してしまう損失などなんでもないことだ。

 さて、長々と一見脱線気味の話をしてきたが、僕は、こうした意味で、例えば鉄道の運転手についてもシビアに取り組む必要があるのではないかということを思うのだ。

 希望する者が誰しも運転手に挑戦できる必要などないし、そんなチャンスは平等である必要はない。
 また、問題を起こした人間について(例えば今回事故の運転手もそうだが、それも再三)、再教育の機会を全く無くせとまでは言わないまでも、何度でも機会を与える必要などない。

 日勤教育という名の再教育制度が、これまた「過度のストレス」を与えるだのといって批判する論調がマスコミに既に出ているが、問題を起こした運転手について行われる再教育が、厳しいストレスを伴わないようなものであるべきはずがなく、僕はそれをこの事故と結びつける気はない。
 それよりも、そうした再教育をご丁寧に何度も行って、軽々とまた現場に送り出す体制にこそ、僕は重大な問題意識を持つ。

 今回の運転手の彼については、実地経験が11ヶ月であるというその期間の長短云々ではなく、運転手任用の以前から含めて再々起こす問題(居眠りであり、オーバーランであり)の数であり頻度でありに注目すべきだろう。

 運転手乗務員への道は誰にも開く必要はない。
 いつなりとも適正なしとみれば、いつでも運転手任用をやめる(つまりは運転手をクビ)にすべきだ。
 これらにおいて、不平等性などを訴えられても、堂々と安全上の施策として抗弁すればよい。

 クラシックバレーで、以前フランスの高名な人物がこういうことを言っていたという。
 「フランスでは踊るべき人が踊るが、日本では、踊りたい人が踊っている。そこが問題だ」と。
 むろん、これは日本に対する批判、あるいは助言であるのだが、フランスにおいても踊りたい人の中で踊るべきひとが踊るんだろう、などということはこの際は措いておいて、これはなかなか箴言だと思う。
 航空自衛隊においても、航空機は操縦したい人ではなく、すべき人がするべきであるはずだし、鉄道においても、したい人ではなくすべき人が運転するべきなのだろう。

 なんと冷たい、冷酷さかという声もあるかもしれないが、そうではないのだ。
 適性ということはいつも、ひとつのモノサシのみで人間を測るものではない。たまたまある分野に適性がないということは、その人の適性は他の分野にあるというだけであって、そこに適材適所の妙味があるはずだ。
 また実際に、人は自らの適所にあってこそ真に輝きもする。

 今回事故の運転手についても、「まじめで熱心」という声も取材されている。
 「まじめで熱心」であるにもかかわらず、居眠りをして「しまい」、短期間に何度もオーバーランして「しまう」彼に運転業務をさせておくことは彼にとっても真に幸福ではあるまい。どころか、不幸を招かないとも限らないのだ。


 さてただし、JRの運転手については、その需要の満足状況という、より深い問題がある可能性もある。
 運転手が十分に足りていれば、上記のような方針で是非やるべきと思うが、その数が欠乏気味であるならば、なかなかそうも言ってられないのだろう。
 その場合には、社員採用を含めて人事部門に、問うべき責が大いにある。
 であれば、まずは人事計画を長期戦略的に見直し、要員確保の道を開いて後、上述のような資質判定の厳格化を行うという段階をたどっていくべきだろう。


posted by Shu UETA at 19:21| Comment(6) | TrackBack(2) | 戦略戦術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 なるほど、すべき人がすべきことをする。これが大前提として、それでもなおヒューマンエラーは必ず起きる、絶対に防ぐことはできないという立場にたってみます。今回の事故の原因は未だ調査中ですが、通常より速い速度でのカーブ進入が一要因であることは間違いがないと思います。では、なぜそういった速度で進入したかといえば、そもそも前の駅での遅れを取り戻そうとしたわけで、遅れを無理に取り戻そうとした理由は、すでに2回の懲罰をくらっており、今回もオーバーランおよびダイヤの乱れを引き起こせば、運転手という職業は辞さなくてはならない、それは避けたいと運転手が考えたからだと思うのです。これは、マスメディアでも同じ論調ですね。というか普通に想像できますね(^^;
 もし「遅れてもそのままの遅れで問題なし。遅れに関する懲罰は無し」という条件であればどうだったろうか、と。この条件は一般企業において、現実的かどうかはわかりませんが、少なくとも運転手へのプレッシャーとなる要素は一つ減るわけです。さらに考えるのならば、その前に起きた2回の懲罰に関しても同様に考えれば、運転手へのプレッシャーはもっと小さいものになっていたことも考えられます。めちゃくちゃ乱暴なことを言ってしまえば、多少のオーバランやダイヤの遅れは不問にするということであったなら、運転手はここまでプレッシャーを感じなかっただろうと思うのです。
 今回の事故は運転手の資質によるところも大きいが、実は運転手を運用するシステムにも問題があるのではないか、というのが僕の考えです。あるヒューマンエラーが発生したときに、あくまでもその発生の直接的な原因になった人間に最大の責任を担ってもらうのか。あるいはヒューマンエラーの発生したシステムそのものに原因があるとみて、その改善を行うのか。JR西日本がどのようなポリシーかは知りませんが、Shuさんのエントリーにあるように、事故がおきてから「若い運転手に添乗員を付ける」ことを始めたのであれば、たぶん運用システムの改善はしていなかったと考えて良いですね。今回の運転手が以前に問題を起こしたときに、“添乗員をつける”あるいは“再教育”を行う、“適正を再確認する”といったような制度があり、かつ運転手のみに過大な責任をとらせないシステムであれば今回の事故は防げた気がしてなりません。

※ちなみに、若い運転手に添乗員を付ける、というのは本質的な問題を理解していないと思います。「若い」という条件は不要ですね>JR西日本
Posted by toybox at 2005年04月28日 00:42
> toyboxさん

 今回の焦点の当て方だと多少の誤解もあるかもしれませんが、安全管理、危機管理ということについて、あるいは犯罪の一部についても、僕も、個人よりシステムを重視するのが信条です。(僕の中ではそれを「罪を憎んで人を憎まず」と言い聞かせています ^^)

 冒頭記したとおり、今回の記事では、原因分析のうちの一部を切り出して、(記事を書く気はなかったのですが)世間での指摘に偏りを感じて、十分に指摘されていない部分についてコメントしてみました。

 システム的要因については、内情の調査と理解が必要で、鉄道運行に関して僕は門外漢として論評し難いので今後も遠慮すると思いますが、

 しかし、マスコミの主論あるいはJR西日本労組がいうような「ダイヤ重視偏重」を主因とする見方にはあまり賛成していません。

 そこに当然重大な関連があるのは当然としても、組織目的に関わる部分を安易に「改めるべき原因」とすることは、警察において「犯人逮捕の過度の重視が事故を招いた」、軍隊において「戦闘勝利に拘るあまり死傷者を招いた」というに近く(極論ですが ^^;)、

 ダイヤを重視しない鉄道など(少なくとも日本においては)到底許容し難く、また、何らプレッシャーにならないような再教育システムというものも存在意義が疑わしく、それをもって事故原因の第一とするのはいかがかなというのが現在の僕の感触です。

 およそどんな仕事でも、プレッシャーのない仕事などなく、どの業界でも誰しも多かれ少なかれそうしたプレッシャーの中で働いているものでは、と。

 鉄道乗務員についても、何万人もいる運転手の中で、彼の数回どころか、一度のオーバーラン(まして居眠りなど)すらしたことのない人が大多数、ごく普通のことであるということを併せ考えても、一般的に「当然事故を誘発する過度のプレッシャー体制」と断じるのは難しいのではないかな、と、
 それはさながら若干名の不登校児をもって、その原因の主たる、かつ大部分を学校の環境と断じることに近いのでは(しかも不登校児のほうが問題運転手より圧倒的に高比率)という感が僕には拭えず、このような着眼を提示してみました。

 かつ、JR西日本自体はともかく、この区間のダイヤはむしろ緩いダイヤ区間でもありますし、上記のような視点と併せ、昨日待ってましたとばかりに労組が発表した会社のダイヤ重視非難の声明には、決して平均的に勤務してきたとは言い難い運転手個人の責を問わず、責任を一に会社に帰そうとの態度として、僕は不快感を覚えています。
 この機に乗じようとの狙いが見え見えではないかと。

 もっとも、先に書いたとおり、システム要因は当然あるでしょうけれども、単純に目下のマスコミの方向性では(そして当然会社はそれに屈することになるでしょうけれど)、ダイヤ遵守はそう気にしなくてもよい、再教育は苦のないものにしましょう、ということでは、またここでも日本人の低質化を助長するだけで、それで事故発生確率が下がったとしても、それは正しい解決法というか前向きの解決法ではないように思うのです。
 車に乗らないことが自動車事故を無くす方法ではあっても、それはとても前向きの解決ではないように。

 もちろん物事には「程度」というものがあるので、「過度」か「通常許容し得る」かは相対的なものではあり、もし彼のような頻度で問題を起こす運転手が少なくとも数倍の確率で発生するということにでもなれば、環境として話はまた変わってきますけれど。

 おわっ、長くなりました。^^;)
 しかし、いずれにせよ僕らは業界の内実をよくは知らないので、ある意味、所詮はマスコミ報道の情報をもとに断片的にああでもないこうでもないと考えるだけで、真に力になることはできませんね。僕も知らぬ立場で好き勝手なことを言っているだけで。(自覚してます ^^;)

 やはりそこは、会社として、業界として、あるいはせいぜい国交省と、内部の人たちの鋭意の研究と改善努力が待たれますね。
Posted by Shu at 2005年04月28日 10:13
ぼくのあげた例まずかったですね(^^;

 問題の責任を会社のみに負わせる、という主張をしようと思ったわけではないのです。また、規律・教育や処罰等をゆるゆるにして、個人にまかせようよ、ということでもありません。どちらかといえば、たるみすぎだ!こら!という方です。ということで、われながら、自分の文章の下手さ加減にあきれるわけですが、気を取り直して、もうちょっと書かせてもらいたいと思います。やぶ蛇か?

 たとえば、企業からの個人情報漏洩は後をたたないわけですが、これらはほとんどヒューマンエラーなわけです。これをなくそうと思えば、少なくとも漏洩に直接かかわった人間を解雇等処罰するだけでは、別の新たな人間が漏洩にかかわる可能性を少なくすることはできず、また社員教育を厳格に行ったところで結局のところは、人間によるエラーを防ぐことはできません。漏洩を防ごうと思えば、データを持ち出せないシステムにする必要があります。

 今回のJR西日本が同じこと、つまり事故の責任の根本は運転手にある、として対外的にも社内的にもすませてしまうのは非常に危険だと考えるわけです。また、今回に限らず、何かおきたときに同様の対応をとっているのであれば(ここ推測というか伝聞)、再び同じ事が起こるのではないかと。

 この事故がおこったあと、JR関係者の話を漏れ聞く機会がありまして、それによれば、JR各社によって体質が違い、残念ながらJR西日本には過去においても、システムの見直しをしない傾向があるという内容でした。もっとも、私が直接聞いた話でもないですし、一方的な話ですので、眉につばをつけておくぐらいでよいと思いますが。それもあって、今回のコメントになりました。

(Shuさん)ダイヤ遵守はそう気にしなくてもよい、再教育は苦のないものにしましょう、ということでは、またここでも日本人の低質化を助長するだけで、それで事故発生確率が下がったとしても、それは正しい解決法というか前向きの解決法ではないように思うのです。

 そう思います。こら、前のコメントと違うじゃないか!と非難されるかもしれませんが(^^;、僕の言いたかったことは、今回のコメントで書いたことです。
Posted by toybox at 2005年04月28日 12:54
> toyboxさん

 いえいえ、基本的に僕はtoyboxさんとはものごとの筋道の付け方が(僭越ながら)似ていると思っていますので、基本的なところでの認識のすれ違いがあるとは最初から思っていませんよ。^^)
 おそらくは僕の力点の置き具合の問題だろうなと。^^;)
 
 こうした際にもつくづく思うのは、所詮言葉、まして書いたものでは、文章の巧拙などということと無関係に、意思疎通には自ずと限界があり、そうした場ではある種の信頼という前提が不可欠だなあ…ということです。その点、toyboxさんと話すのは快適ですね。
 ま、本来コミュニケーションの基本ではあるのですが。

> 事故の責任の根本は運転手にある、として対外的にも社内的にもすませてしまうのは非常に危険だ

 これは同感です。
 僕の場合は、故に運転士の任用と育成、処分のシステムに問題意識を当ててみたわけです。

 同時に、タイミング悪しく、ちょうど昨夜寝る前に、ニュースで労組の会見を見てしまいまして、このような会社の危機に際して、しゃあしゃあと会社批判を公に向けて行い、自分たちの平素からの主張(労働環境を楽に)を便乗させる姿勢に不快感いっぱいで寝ていたので、僕も多少鋭角的な記述になりました。^^;)

 これも余談ですが、だから僕は労働組合という思想が好きになれないんですよね〜。
 日頃から僕の主張する、西洋流の国家と国民の対立構造と同じで、会社の中にほぼ自動的に対立軸を生み出し、このような会社の危急時にも皆で力を合わせてここを乗り切ろうという姿勢(本来の日本人らしさだと思うのですが)がなく、ここぞとばかりに体制批判を得々と語る。

 真に会社の安全体制改善のためならば、それは社内で意見提案すべきだし、また自分たちの労働環境向上という平素からの主張であれば、それは労使交渉の場で言うべきことであって、こうした会社の危機に乗じてご丁寧にマスコミを集め外部に向かって体制批判をするなど、胸くそ悪くて…失礼 ^^;)
 愚痴ですね。^^;)

 ところでJR西日本は、やはり僕も(この事故以前から)漏れ聞く限りでも、やはりグループ他社(特に東日本や東海)と比べ、猛烈体質というかスパルタ体質ということもあるようですね、改善意識とは別にも。

 やはり経営環境の苦しさから醸成されたのだろうとも言われますが。(なんせ関西の私鉄は強いですから。関東と違い棲み分けではなく、JRとほぼ完全に平行敷設ですし)

 一方で、地元の一人としては、やはりJR西日本の芸術的ダイヤ編成と高速性は魅力ではあります(この高速性は、速度の問題ではなく運行編成上の問題)。
 関西人としては、東京に行くと「かったるくて」やってられないという気持ちになるくらいで。^^;)
 私鉄に至っては、関西私鉄と関東私鉄ではヒトとサルくらいの差が(サービスにも運行合理性にも)あって、関東在住時はストレスの種ですらありましたが、そうした関西の強敵私鉄(くどいですが、しかも平行路線)に伍していくJRの苦労も、実は気の毒ですね。
 「これからは自力でここで生き残って行け」と、いわば民営化のツケと言えないことはないわけで。

 いずれにせよ、最近脚光を浴びつつある「失敗学」の一環として、僕らももちろん、皆、もって他山の石とすべき点をそれぞれに見出したいものですね。

 ところで、ご存知かもしれませんが、僕のお気に入りのサイトを二つ。

 失敗知識データベース
 http://shippai.jst.go.jp/fkd/Search

 失敗ドット・コム
 http://homepage1.nifty.com/access/sippai/
Posted by Shu at 2005年04月28日 15:38
文字だけによるコミュニケーションは本当に難しいと思います。

> 意思疎通には自ずと限界があり、そうした場ではある種の信頼という前提が不可欠

仕事柄文字だけでコミュニケーションすることも多いのですが、やはり相手の顔をみながら話たいです。Shuさんは顔写真つきですので、非常にイメージしやすいです。次元が違うというそしりを覚悟で言いますと、Shuさんは武道をやっておられるようで、僕もかつて、おこちゃま剣道をやっており、似た体験を共有していると考えると、ますますイメージしやすかったりします。でも、こういう何かを共有した(勝手に思ってるだけかもしれませんが)上での意思疎通というのは、非常にやりやすいですね。

関西方面には行ったことがないのですが、「東京に行くと「かったるくて」やってられない」というのはびっくりしました。いや、ぼくが東京に行けば「せわしないなぁ」と思いますので、もしそちらに遊びに行くことがあれば、とんでもないショックを受けるのではないかと思います。

さて、本題。短いです(^-^;
労組のある会社で働いたことが無いのですが、外から見ている限りでは良い印象はありませんね。Shuさんも書いておられましたが、日教組とか、とっとと解体したいです。今回の労組の報道は見ていないのですが、不幸な出来事を自分たちの権力闘争に使うのは許し難いです。また、マスコミの論調もさらってみましたが、当初は運転手批判だったようですが、どうやら会社批判にシフトしていたようです、って気がつくのが遅いか。

> 「失敗学」の一環として、僕らももちろん、皆、もって他山の石とすべき点をそれぞれに見出したいものですね。

ですね。失敗知識データベースの方は知りませんでした。ありがとうございます。
Posted by toybox at 2005年04月28日 18:44
> toyboxさん

> 「東京に行くと「かったるくて」

 あくまで鉄道は、ですけどね。
 人混みの具合には僕も東京では疲れますし容易にへこたれます ^^;)

 特に二度目の関東は西武沿線だったんですが、とりわけ西武は万事においていただけない会社でしたね…よくこれでみんな怒りもせず使ってるなと思ったものですが、しかし僕もそうでしたけれど、そこに西武しかなければ使わないわけにもいかないんですよね ^^;) 
 (かつ、良いものを知らなければ悪いものにも気づかないという面もあるでしょうけど)

 失敗知識データベースも、おもしろいんですよね。なかなかいろんなケースで考えさせられます。
 紹介できてよかったです。^^)
Posted by Shu at 2005年04月28日 19:20
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