2005年04月12日

(名将言行録) 心理掌握、叱責(前)


 「名将言行録」36号では、武田信玄の第二回としてお送りしましたが、今回は、信玄一流の人間心理掌握ともいえるエピソードがいくつか紹介されました。
 マガジン冒頭にも書いたとおり、一般に、軍の指揮官とは心理学者でなければならないということがよく言われます。(もっとも、これは必ずしも軍に限らず、人を指揮指導する立場では必要なことであろうと思われます。)

 マガジンblogは随分と久しぶりになってしまいましたが、今回は、この、指揮官に求められる心理学者的側面と、また、これも今回のエピソードに紹介されていた「叱責」すべき場面での対応ということ、この二点について、僕の思うところを少し書いてみたいと思います。

■指揮官に求められる心理学者的側面

 心理学者とまで言うのは大袈裟であるとの印象もあるかもしれませんが、しかし、ある意味では本当の学者以上に、その方面に(まさに実学として)素養が求められるのが、指揮官というものです。まして多数の人命であり、また国家の命運がかかった任務を遂行する軍の指揮官においては特にそれが強調されるのももっともなことです。

 さて、どのような意味で、そうしたことが求められるか、ということについて、僕は次のように考えています。

 ひとつは、部下を率いるということ、つまり部下の能力を十分に、あるいは十二分に発揮させるための要請です。これは、いわゆる「統御」の範疇となるでしょう。

 もうひとつは、作戦において敵に勝利するということ、つまり、敵を出し抜くことを実現するための要請です。これは多分に戦略・戦術上の要請となるでしょう。

 まず、前者について考えてみましょう。

 人間というものは機械のように同様の環境においては同様のパフォーマンスをコンスタントに発揮するものではありません。
 戦力において、「有形・無形の要素」ということが言われる際の、「無形の要素」のかなりの部分を占めるのは、そうした人間心理に関わるものです。
 あるいは「士気」「モラル」と表現されるところでもあります。
 これらは、個々人についても、また部隊全体についても考えることができます。

 人々を率いる以上、それら個々人について、また集団として、その能力を極大に引き出すことが、指揮官にとっては必要です。平素の訓練も、実にそれを企図してのものですが、有事の作戦間においても当然ながら、そうした着意と工夫が求められます。

 個々人についても、また集団としても、その士気を維持し向上させるための工夫には、当然人間心理の作用に基づいた着意が必要です。

 これは例えば今回のエピソードでは、城を落とされて敗走してきた日向大和に対する信玄の言向けによる大和の奮起の例にもみられます。
 彼、日向大和はさぞかし、最初は動転、そして信玄に行き会う頃には意気消沈していたことでしょう。その人間の士気をいかに高めて現在の用に充て得るか、また長期的にも、いかにこの人間を今回の失敗から解き放ち、戦力として維持し得るか、そうしたことが、指揮官の態度、言葉で大きな影響を受けることになります。

 あるいは集団レベルで考えても、同様です。
 たとえば、言葉ひとつの効果ということを考えるにも、幾多の戦場において示されたナポレオンの弁舌というものは実に偉大な効果を兵に与えました。

 また、どのような時に軍を休め、どのような時に休ませず一気呵成に攻めかけさせるか、これも兵士の心理というものを十分に掌握していなければ判断できません。
 一般に、長途を進軍してきた軍を敵の前面で中途半端に休息させることは良くないとされますが、それは、負荷と緊張の糸を切ることによって、一時的に一気に戦闘意欲を低下させるからとされます。これは精神面のみならず、肉体的にも現実的な話ではあります。持続走の途中で下手にいったん歩くと、もはやまた以前のように走りだすことはきわめて困難であるということは誰しも体験したことがあるでしょう。
 しかしながら、これは杓子定規に公式的に使うべきものではなく、その長途進軍の状況や今から予期する戦闘の様相、採用する作戦等によっても機に応じた判断が必要です。腰を据えていったんじっくり休息させ、英気を充電させるほうがよい場合もあるでしょう。兵の実際の疲弊度(肉体的のみならず精神的にも)にもよります。
 このあたりの判断が、センスというものであり、そのセンスは、兵の心理掌握ということに大いに依拠します。

 ちなみに、(「戦略入門」を講読いただいている方には、ちょうど前回までのテーマでもありましたが)、たとえば孫子は、指揮官が部隊と戦場をコントロールする手綱として、「編制」「人心」「戦法」の三つをあげています。
 古今東西の指揮官の誰もがキャリアの終生さまざまに思い悩む部隊のコントロールということを、ここまでシンプルに達観し得ているのは孫子をおいてほかにないように思いますが、(少なくとも入門の段階においては)これほど心強いシンプルな手綱もありません。
 (もっとも「人心」というのは僕の意訳解説であって、これを孫子は「勢」という言葉で表現しています。)

 さきほど「センス」という言葉を使いましたが、これを学問といわずセンスというのは、それが公式のようにして覚えて使えるような種類のものではないからです。およそ人間関係ということ自体において、それは当然のことではあるのですが、また、心理学者と異なり「実学」という言葉も先ほど使った通り、このあたりの「センス」「実学」というものは、自己の経験と思考から積み上げていくしかないものです。(もちろん、才能的な個人差はあるでしょうけれども。)

 そこで、ここには近道や公式はなく(ごくごく一般的な意味での常識的なものはあるにせよ)、平素から自分自身で部下を観察し、どのような場面でどのような挙動、心理状態を見せるのか、そしてそれをコントロールする試行錯誤と思索というものの積み上げが必要です。
 ただし、万事においてそうである通り、これは必ずしも自分の狭い経験の範囲のみではなく、たとえば読書であり、あるいはドラマ、映画等によってすら疑似経験することはできるでしょう。要は、自ら考えるということです。
 ナポレオンが若き日々、古今の戦史を読んでは、本を伏せて自ら考え、続きを読んで史実と自分の考えを照らし合わせるということに没頭していたのは有名な話ですが、これも実に効果的な自己鍛錬でしょう。
 あるいは、いささか単純化し過ぎの定評ではあるものの、秀吉が「人たらし」の天才であったというのも、彼自身が兵たちと同様の社会を生きてきた体験が、兵の心理掌握能力に寄与し、あるいはそうした社会のさまざまな階層で積んできた経験が、兵に限らず広く人間というもの自体に対する心理掌握能力を培わせたということも、一理はあるに違いありません。

 何事もそうですが、ここでとにかく大切なのは、「考える」ということです。全く同じ経験をしていても、そこで考えるか考えないか、自らの中にフィードバック回路を持つか持たないか、この差は、僕の感覚ではおそらくものの数ヶ月で、非常に大きな差になると思います。
 僕の職業経験においても、こうした個人差は、2年もすれば指揮官としての素質に大きな隔絶を生んでいたように思います。


 さて次に、後者、作戦に勝利することという面について考えてみましょう。

 さきの、自らの部隊の心理掌握ということが統御面での話であって、いかに自分の部隊を強くするかというアプローチであったのに対して、今度は、「敵の心理を読む」ということによって、作戦の適正を図るということが、ここでのテーマです。

 戦いであれば、敵の心理を読むことの重要性は、多くを語らずとも誰しも納得するところでしょう。
 いわゆる「敵の裏をかく」「敵を出し抜く」ということが、作戦において大きな効果を持つことは当然です。逆に、敵から出し抜かれないことも重要です。

 そうすると、ここでもやはり人間心理への洞察ということが肝心となってきます。

 作戦において敵の意表を衝くためには、敵の心理を洞察していなければなりません。
 今回のエピソードでは、信玄が山上の北条軍の心理を読み取って、まんまと敵の虚を衝いたわけです。

 さてまた、敵の意表を衝いた作戦をとるという以外に、戦闘において最上のものは「戦わずして勝つ」ということですが、これを可能とするのは、「敵の心を打ち砕く」ことに成功した場合です。
 敵の心理を攻略する、ということです。それは、相手の敢闘意欲を失わしめることであり、勝利の可能性を悲観させることであり、特に、指揮官の心理をそのように仕向けることです。

 リデル・ハートの提唱した間接アプローチは、極論すれば、心理作戦という言葉に集約することもできます。
 「敵の最小予期線」、「敵の攪乱」、「補給線への脅威」という彼の提唱する諸原則は、彼自身述べているように、全て、敵の心理を攪乱し、恐慌に陥れることを一貫した主眼としています。

 剣術においては、敵の「気・剣・体」を攻めるということが言われますが、この例えで言うならば、敵の「気」を攻めるということです。
 武術では、そうした意味でも、究極的には「敵との感応」ということが理想の境地とされ、その能力が、結果的には当然ながら敵ではない対者との感応ということをも可能にし、平和的な分野においても人間力が高まるものだと言われます。
 戦場で一軍を率いるレベル以上にあって、戦場働きで名将とされる人物に一定以上の人格者が多いのも、結局はそうしたわけでもあろうかと思われます。つまり、他人の心理を忖度し得る人物でなければ、作戦においても敵の心理を読みそれを活用することはできないということ、そしてそうした他人の心理を洞察できる人間というものは、人間関係力においても自然優れる可能性が高いということです。


後編につづく)


posted by Shu UETA at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 名将言行録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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