産経で、神戸(お恥ずかしい ^^;) の教員自宅研修に関する報道があった。
サンドイッチを作る/USJで異文化理解 先生これって研修? しかしながら、この記事は「朝刊より」のコーナーなので、通常、1〜2日でもう閲覧できなくなる。
多分明日にはもう見れないだろう…
そこで、下記に概要を紹介しておこうと思う。
僕が今回あらためてショックを受けたのは、そうした「自宅研修」が適正に行われているか否かという正不正の問題よりも、ここで例示されているものにみる、知的程度の低さといったものだ。
正直、僕や僕の友人たちの感覚で言えば、まあ小学校から中学校くらいの頃の程度ではないか。
実になげかわしい。
件の記事の概要は、こうである。
(閲覧可能時間が短いので、多めに引用しておこう)
神戸の小中学校教員報告書
- 神戸市内の小中学校の教員が夏休み、冬休みに提出した自宅研修の報告書から、自宅で行う必然性がないものや、研修として教育的な効果が疑わしく内容の乏しいものが、相次いで承認されていることが明らかになった。
文部科学省では平成十四年度に全国調査を行い、研修取得の適正化を指導しているが、年月がたつにつれて再びルーズな運用が黙認され、それが前例となっていく実態が浮き彫りとなっている。
- 中学の女性教諭の自宅研修のテーマは「サンドイッチを作る」。
研修内容と成果を記す欄には、「手をきれいに洗う」「パンにバターをぬる」「レタスを一枚ずつはずして水で洗う」「ツナを細かくきざみマヨネーズであえる」…と、つくり方を順番に並べただけ。
- 「ユニバーサルスタジオジャパン」を同僚四人で訪れ、研修として報告した中学教諭もいた。
「バックトゥザフューチャー・ザ・ライドで、アメリカの昔や未来を理解できた」「バックドラフトで、恐怖の大火災を体験した」とアトラクションの感想を書き、研修のテーマには「映画を通して異文化を理解する」と記している。
- 研修として読書を挙げる教諭は多く、小学校の男性教諭は「密命 弦月三十二人斬り」。
密命シリーズの二作目の粗筋と感想を記した報告書には、「朝から一気に読んでしまい、近くの書店にシリーズ三作目を買いに走った。思わず時間を忘れた」と記述した。
- ある中学男性体育教諭のテーマは「生涯現役の体育教師としての資質向上」。
一日二時間の読書と四時間にわたる自宅周辺での八キロの「ウオーキング」を一週間続けるという内容。 感想として「起床時の全身の疲労感が三日目から強く、幾度も中止しようと考えたが、七日目になると、身体が動き出してくれて学生時代の運動部の合宿生活の再現ができたのかと感動した」と記されているだけだった。
- 「生徒への残暑見舞い」を自宅にこもって一日がかりで送り、「研修」と称する小学校の男性教諭の例も。
研修成果として、「手作りの残暑見舞いを全員に送り、一人ずつメッセージを手書きで入れた。返事も子どもたちの夏休みの暮らしぶりがわかり、よかった」「最近のデジタル機器の操作に慣れ、コンピューター習熟も図れた」と自画自賛していた。
≪ルーズな運用 学校任せ…既得権化≫
- 教員は夏休みや冬休みのような授業がない場合でも、原則勤務しなければならないが、教員の資質向上のため勤務地を離れた研修活動も認められている。自宅研修もそのひとつ。
- しかし実際には休みやレジャー、旅行や組合活動に至るまで広く自宅研修として認められ、給料が支払われる実態が全国で横行。
そこで文部科学省は平成14年、教員の自宅研修の取得について適正にするよう通知を二回にわたって出したが、全国に浸透したとはいえないのが実情。ルーズな運用は神戸市だけではないようだ。
- 教職員の帰省を研修扱いにしていた北海道では、労使による取り決めは違法として破棄。
しかし、組合側は「破棄を認めない」立場を今も取っている。特に札幌市では、教職員が提出する研修報告書について「研修期間の長さにかかわらず、一枚の文書でいい」とされたままだ。 内実が伴っているか、税金が適切に使われているか−。それすら十分に確かめようがない。
- 教職員組合に所属するある教員は「いったん正常化しても事務は地方や学校任せ。ずさんな報告でもいったん承認すれば、それが前例となり、『この前は認めたではないか』と突き上げられる。そうすればなし崩しになり、既得権が維持できる。神戸の例はその一つではないか」と指摘。
(安藤慶太記者)
|
冒頭に書いたとおり、正不正の問題はもちろん重大にあるとして、しかし、上記の前段に列挙される例に見られる、この程度の低さはどうだろう?
僕は、勤労態度、まして公務員としての態度としての問題よりも(いやそれももちろん問題と考えているが)、ショックを受けるならば、仮にも子供の教育にあたる教員にうかがわれる知的、精神的レベルの低さだ。
こういうことを言うのは適切でないかもしれないが、もし僕であれば、そして僕の知る僕の周囲の人であっても、例え本来の研修でない意図で出勤しないとしても、もう少し(いや格段に?)まともなものを書いて出すだろう。--;)
このblogでも何度か、教員のクオリティということについて書いたことがあるが、毎度毎度、あまり痛烈なことを書くのは避けている。
なぜならば、今回の報道にしても当然そうだろうが、こうして例示される人々が、教員全体を代表するものではないだろう、つまり、「教員」とひとからげにしてしまうと、善良かつ優秀な教員の人々に失礼だろうなと思うからだ。
しかし、それにしても(一部の例に過ぎないにしても)その件数というか、問題が感じられる層は、一般のその他の企業や団体、公務員にくらべてあまりにも大きいようにも感じる。
なげかわしいと言うばかりなのだが、やはり、いつも主張してきたとおり、ひとつには教員の待遇ということを考えていかねばならないだろうと思う。
今日の社会では、ある程度の待遇がなければ、優秀な人材は集まりにくい。
教員については、物質的にも、社会的地位の面でも、待遇が良いとは言えない。
これは極論かもしれないが、だいたいからして、たいていの大学で入学に必要な学力レベルの最も低いのが教育学部ということではまずかろう…
そしてこれも今日の社会では、就職に有利(待遇面をもちろん含んで)と(実際はともかく)一般的に考えられている学部学科ほど、レベルは高くなりやすい。
いま現に納得し難いレベルの教員に高給を弾むのは片腹痛いかもしれないが、しかし、そうした方向を考えていかねばならないだろうと思う。
ちなみに僕自身はかねてから「徴師制」というものを提唱しているが、今日すすむ少子化を(この点についてのみは)都合良いものと考え、教員の削減を図りつつ、待遇を向上させ、かつ社会の一線で活躍している(いた)人々(つまり現役及び退職者)からの臨時教員任用制度(原則拒否不可)を進めることを考えている。
ここでは、専門職教員は学校運営の基幹職員として、人数的には臨時任用教員より少なくてよい。
今日の本論からはずれるので、これについてはまたいずれ。
posted by Shu UETA at 22:28|
Comment(15)
|
天下-教育・科学・文化
|

|
僕も教育制度について、ちょろっと調べているのですが、現状でも教師に対する優遇は、「義務教育の教員の給与については、優れた人材の確保のため、人材確保法により、一般の公務員に比較して優遇措置が講じられなければならない」となっているようです。
問題は、教師は比較的簡単になれるのだけど、手厚い保護があるところで、志がなくても単に生活のために教師になってしまえるということもあると思います。これは、Shuさんのおっしゃられるところのクォリティーの低下ということの要因の一つでもあると考えています。
いやあ…実に難しいですね。
現実には、さほど優遇のほどが(給与的には)実現できていないようにも感じますが、かつ社会的地位(イメージ)については彼らが自ら貶めてきた面も強いですしね…
本文では多少語弊もあって、学力的な面での「クオリティ」を問うているようにも見えますが、ただ学力というよりも、何といいましょうか、より人間力的な意味も、なかなか…
つまり例えば、金融の最前線、あるいは営業の現場、あるいはIT業界の中心、あるいは法廷で、バリバリやっていける、もしくはやっていこうと思うような人材がなかなか教育界には流れていっていないのではないか、と。
もっとも、これには待遇ばかりではなく、職種そのものへの魅力であり、また社会的地位でありといったものも大きな要素でしょうけれど。
やはり「比較的簡単になれる」ということと、にも関わらず、多くの地方公務員同様、安定が期待できるというところからくる志の問題でしょうか。
あるいは、より後天的に「入社後の社風」的なものもあるかもしれませんね。あの世界ならではの。^^;)
さてどうしたものか…
今もし仮に自分が独裁者であってどんな政策でも自在に採ることができるとしても、どのような政策をとれば問題解消できるか、まだ、これだっ、というものが思いついていません。
引き続き、考えを練っていきたいと思います。
僕は自分のところで教師を激しく非難しているわけですが、この職業の大変さもある程度は理解しています。「学問を教える」ということと、クラス運営を通じて「社会(not 歴史,地理等)を教える」「生活指導」など課せられている仕事が多いです。また、「自分の子供は悪くない」だの「他人に迷惑をかけていないから悪くない」等の昨今の親の非常識さにも驚きます。もっとも、その親も教育の結果なわけですが。特定思想団体の影響や奇妙な結果平等主義や個性偏重主義・風潮もあります。こういった、様々な積み重ねで現在のような、教師・子供・親・社会にとってあまり喜ばしくない状況になっているのだと考えてます。
地道に一つずつ解決していくしかないんでしょうかね。
システムエンジニア歴8年。5年前に脱サラし、1年前に初の免許(高校情報)を受けて今は非常勤講師をしています。今もですが当時から様々な軋轢を通じて「壁」を感じてきました。
免許を受ける以前は実習助手という、免許不要の補助職でした。
とはいえ、実際には教諭・講師に相当する職務範囲を任されるため、「教師並の能力」が必要と感じて独自に通信大学に在籍したのですが、当時の管理職から「今の立場で免許は不要。辞めてから取るべき」とまで言われ、反骨精神、在野精神を拠り所に免許を目指した記憶があります。ちなみに、教科を取り巻く事情から現在も、2つ目の免許取得のため通信制に在籍しています。
民間から転向して気づいたことですが、教育界では「社会人の積極登用」を進める気風が以前からあるのですが、それが民間に対し明確に伝わっておらず、現場でも「よそ者を嫌う」ような風潮があるように感じています。
高校教育では、多くが22〜23歳の新卒で現場に入る中、私は31歳で入り、初免許は34歳で受けました。「社会を知らない連中には負けるまい」と思いつつ、彼らの年代がどのように採用に向けて動いているのか、ある部分では「こちらが学ぶ」ような事も多々あります。
厚かましいのですが、少なくとも私は「教職を目指す社会人たちの希望の星」の一人でありたいと願っています。
はじめましてっ
素晴らしいっ
そういう方のお話をぜひ聞いてみたいと思っておりましたっ、ので、ご縁があってうれしいです。
早速、blogを熱心に読ませていただこうと思います。
単に志や優れた人材ということにおいてのみならず、例えばはたやんさんであれば、生徒たちに、システムエンジニア業界の話を生き生きと話して聞かせてあげたりすることができるでしょうね。
そういうことが、もっとあってもいいのにな、ということを僕は考えています。
今後ともよろしくお願いします
はじめまして。
進路指導部にいた恩師の計らいで、1年間でしたが私も進路指導部に「就職指導要員」として入ったことがありました。しかし次年度から始まった定年者への「再任用制度」の影響もあり、余剰人員として他の部署に回り、現在まで進路指導部への復帰は果たせていません。
教科に対しても恩師が他校へ移って以降、エンジニア経験より「ワープロ・表計算・インターネットを使えるようにする」という、ただそれだけの対応しか要求されていません。
学校の情報教育と言う立場で、それは「中学レベル」なのですが、それが「就職に有利になる」と考える周囲の姿勢は、いささか幻想じみているように思います。
まだまだ、「年功主義」が強い世界です。適材適所を謳う管理職ですら、自分より年長の人を排除してしまう状況です。
時に、私が自分より一回り若い連中に敬語を使い頭を下げることは、彼らには滑稽に映るかもしれません。しかし、互いに礼を尽くしながら仕事にも全力投球、それが「職業人のマナー」だと思うのです。
地元の採用試験、1次敗退です。
まだまだ足りないところ、勉強不足が多いと思います。「希望の星」には程遠いですが、「脱サラ組はここにもいますよ!」という、ある意味他の方々への「励み」になれば幸いです。
目的意識の「原点回帰」を目的に、エンジニア時代の感覚を取り戻そうと、情報技術者なら知っているであろう「Windowsの源流」UNIXの勉強を、何年ぶりか再開しました。
UNIX(ユニックス)は1969年生まれのOSですが、Windowsより安定しています。
自宅のPCに、Win上で走るUNIX環境を構築しています。Win上で走るぶん動作は重いけど、モノにするために貪欲になって仕事しながら勉強した、前職時代の感覚を取り戻したいと思います。
一時は価値観の違いから「過去を捨て去って教員になりきる」事が大事だと思っていました。
でも、捨て去ることはありません。郷に従いながらも、過去の経験を少しずつ出し、「給与に見合った仕事」が出来るよう頑張ります。
それは今回は(一見)残念でしたね。
しかし、おそらくは何か意味があるものですよ、きっと、後から振り返れば。
応援していますっ!!
僕はUNIXはさわりくらいしか知らないんですけれど、UNIXが僕と同い年であったとは驚きました。(僕は実はGUIよりコマンドが好きだったりしまして…もちろん仕事での実用はGUIの恩恵をたっぷり享受していますけどね ^^;)
> 一時は価値観の違いから「過去を捨て去って教員になりきる」事が大事だと思っていました。
> でも、捨て去ることはありません
無責任な立場からではありますが、僕はこれに賛成です。
今回のことにもきっと意味はありますよ。
重ねてですが、応援していますっ!
私と同年齢ですね。私も、UNIXと同い年です(笑)。
本来ここまで書きたくない(現職批判は嫌われる)のですが、かつて現職者講習(一時期、教諭は短期間で情報免許が取れました)で、参加された教諭が学校に帰ってきた折、私に「プロトコルってどういう意味?」「FTPって何?」と聞かれ、何を勉強しに行かれたのか疑問でした。
しかも、そんなレベルでも数週間で免許ですから悔しかったです。
これまで忙しくて、教採の結果に「悔しい」と思う余裕すらありませんでした。
こんな気持ちになれるだけでも大きな前進であり、今日新調したシステム手帳には、自分の夢・目標を書き連ねています。行き詰ったらページを開き、1年後は笑ってみせます。
「脱サラ教諭誕生」を目指して頑張ります。
> 「プロトコルってどういう意味?」「FTPって何?」
げげっ
まあ…そういう人って何だか想像できますが…
しかし、それって情報技術の専門知識というよりも、専門など関係ない一般的知識といってもいいくらいの知識ですよね。
ま、もちろん、常識は万人とって常識ならず、ですからそれはよいとしても、仮にも講習を受講してそれということは、「やる気がない」か「知的能力がそれに耐えない」かどちらかしかないと思いますが、まあ普通に考えれば前者でしょうね。
ため息です ^^;)
> 今日新調したシステム手帳には、自分の夢・目標を書き連ねています。行き詰ったらページを開き、1年後は笑ってみせます
くう〜
なかにはそういうことを蒼くさいだの言う人もいますが、僕は、そういうの大っ好きなんですよ。
応援してます!
その先生、当時私が説明したことは全部お忘れだと思います。ご本人曰く「こういう知識は授業に必要ない、生徒の進路にも関係ない」そうですから。逃げたらあきません・・・
私が悔しかったのは、それで免許が与えられるという、現職に対する「敷居の低さ」です。
ちなみに大学に編入した私は、同じ免許を受けるのに3年かかりました。通信課程で約45科目が必修ですから、1年や2年では終わりません。システムの違いを分からない方々から、「免許はまだか?」「待ってるんだぞ!」と、なぜか懇々と叱られました。
システム手帳の件、「書いて自分に言い聞かせる」効果を狙ったつもりです。忙しくなると忘れますから。
現場では、真剣に教科指導の土台作りとして研修活動に出られる人も多かったのですが、最近はマスコミの「えさ」になっている印象が強いです。
事件だけがクローズアップされ、真剣に取り組んでいる姿は「それくらい当たり前」と話題にもならない。
プラスの話題は、「甲子園出場」くらいしかネタになっていないように思います。「野球部の無い学校」に勤める者としては、蚊帳の外って感じです(笑)。
悪口というのたしかにイヤなものです。
一方で、善意の批判との境界も微妙で難しい。
お互い、気をつけたいものです。