2005年03月22日

身体軸の問題



 フジテレビ「春のお台場筋肉の祭典史上最大のフィールドアスレチック海筋肉王"バイキング"最強の芸能界スペシャル!!」(長い ^^;)を、先ほどまで見るともなしに見ていたのだけれど、挑戦者たちの多くの人々について、身体軸の意識が実に希薄であるように見えた。


 ところで、
 そもそも基本的にバラエティものといおうか、なんとはなしににぎやかなものは好きなので ^^;)、この手のアスレチックもの、制作者に言わせれば「筋肉もの」の長いシリーズも、これまでわりと折々に見てきているんだけれど、常々ちょっとした不満を持っている。

 それは、まあ番組内容的には事実上身体能力を問うゲーム企画になっている場合が多いのだが、コピー的にもMC的にも、「筋肉」ということを連呼し、「筋肉」を全面に押し出すことが過剰に思えるからだ。

 今日、そして将来にわたり、スポーツ界においても、その他さまざまな分野においても、今ようやく意識が「筋肉」ということからよりトータルなシステムへと移行しつつあるのに、かの番組シリーズのように「筋肉筋肉」ということを連呼するのは、視聴者の意識を汚染するものだろう、なんて思ってしまう。

 まあもっとも、もちろんスポーツを目指す子供たちにとっても、その他の人々にとっても、これは教育ビデオなどではなくてただのバラエティ番組なのだから、そんな僕の心配も大袈裟なものと言わざるを得ないけれど、しかし、大人はともかく子供にとっては、やはり無意識のうちにも決してよい影響は与えないのだろうなとは思う。

 野球で言うならば、もはや子供たちは清原選手などが歯を食いしばって筋肉に筋肉をつけて頑張る姿勢を見習うべきではなく、イチロー選手のような身体のアライメントを重視する姿勢を見て育つべきだ。

 もちろん、筋肉・筋力不要論を唱えているのではなく、筋肉筋力は当然必要だが、身体運用の意識は筋肉に置くべきではないということ、そして身体づくりにおいても、身体をパーツパーツに分けてパーツごとに筋力をつけてシステムバランスを崩すのではなくシステム重視で筋肉養成を考えるべきということを言いたいわけだ。

 と、冒頭早々ながらここまでは余談 ^^;)


 先ほど件の番組を見ていて感じた、その身体軸の問題。

 僕は全員を見ていたわけではないのだけれど、挑戦者たちの多くに、身体軸というものの形成が不十分、もしくは全く欠いているさまが気になってしかたがなかった。

 特にセカンドステージ(全員ここで脱落したので、今日のところは事実上の最終ステージ)に挑戦した人(5人だっけ…)は全員見たが、ここではとりわけ上記のような思いが強かった。

 このステージでは、まず最初に、重さ5kgの棒の両端にそれぞれ35kgの重りをつけたものを天秤棒のように首の後ろで両肩にして一本橋を進むようなものがあった(くわしくは、その一本橋はゆっくり回転する三枚羽の羽にあたり、回転している間に向こう岸にタイミングよく渡るのだが)。
 たとえばいきなりここで失敗した挑戦者も(たしか)二人いたが、成功した人も含め、身体の軸の不安定具合、というよりむしろ軸を欠くことによる不安定振りは凄まじかった。

 もちろん、最初のステージの各パートでもさまざまに観察されたが、上記のパートでは特にそれが見やすかったということだ。

 これは、このようなスペシャルなチャレンジを体験しなくても、誰でも簡単にイメージを実感することができる。
 たとえば、普通に両足を適度に開いてまっすぐ立ち、極力重心を移動させずに片足を上げてみる。
 極力重心を移動させず、というのは、重心の移動量を最小限にするということであり、つまり、片足を上げる時に、上げないほうの足によっこらせと重心を移してから反対の足を上げるということではなく、ということ。
 なれない人は、足を上げた側に倒れそうになるだろう。

 ここでは、自分の重心を重心軸に沿わせるということが有用になる。
 また、さらに発展すれば、身体の中心を貫く軸だけではなく、首の両側から左右の足それぞれを結ぶ左右の身体軸というものの意識が大きな効果を持つ。

 たとえば武術においては、立っているところから第一歩を踏み出すという時点で当初まずこの壁にぶつかる。

 僕自身も、抜刀の最初の型を与えられて稽古を始めた頃、型以前に、まず一歩を踏み出すということの難しさに愕然としたことがある。

 これは速い動きではかえって意識されない。ごまかしがきき、自分自身ごまかしていることに気づきすらしない。(ちょうどバンド演奏をするにも、遅い曲の方が難しいのと同じ。僕にとっては♪Every Breath You Take がその最初の壁だった、昔。余談 ^^;)

 話を戻して、その静かな第一歩の難しさ。そのゆっくしとした一歩を出す際に、逆の足に体重移動をするような動きは、武術では到底許容できない動きになる。なぜなら、動く前に動く気配を相手に見せることになるのだから。(出す足と逆側に体重移動をする様がわかってしまう)これは、たとえば蹴りを放つ場合だって同じ。先に体重移動があれば、蹴りがくることは相手からは丸見えだ。

 ここで、重心のコントロールということが意味を持つのだが、それは体軸の意識の形成ということが非常に有用となる。
 さきの「第一歩」ということでは、(これはベストではなくまず初心としてだが)身体の中心軸(重心軸)に重心を沿わせるということでは、一歩を出す際に逆足に重心を移すのではなく(それはどうしても「よっこらせ」という動きになる)、むしろ膝を内に締めて、自分の中心軸に沿って内側に重心を落とすような感覚で、まずは少しはマシな動きになる。

 さて、ここで例えばさきの天秤棒の例に戻すと、このような身体運用ができなければ、一歩ごとに重心は左右にジグザグしながら進むことになる。自分の身一つであればこの左右のブレを自分の身体幅の中のみで済ませることができるだろうけれども、身幅からはるかにはみ出して左右に35kgずつも重りをつけていては、当然一歩ごとに振り子の原理的に重りは振られ、ついにはバランスの許容範囲を越えてしまう。

 もちろん、これほど見やすくなくとも、ファーストステージでの各種のアンバランスな場所を進む場合において自らの身幅のみでも、やはりこれが大きな問題となる。

 身体軸の意識、重心の意識が形成されていないままでこれをクリアするには、この際、素早く動くということで切り抜けるしかないだろう。
 故にファーストステージにおいては多くの成功者が、不安定な場所はスピードで突破していた。しかるに例のセカンドステージの天秤棒では、重さと、そしてバランスを取らねばという意識が高まる故か、むしろ慎重にゆっくり進もうとする。左右に重心がジグザグな自分の身体運用でゆっくり進めば、先に述べたとおり、すぐさまバランスを失することになるのは当然だ。
 ここで成功した数名は、止まる動くのメリハリよく、動き出したらスタスタスタと進み、タイミングを計ればまたスタスタスタと前進のエネルギーで左右のふらつきを相殺していたようにも見えた。


 今回の「バイキング」などは、例えば「筋肉番付」のようなものとくらべると明らかに「筋肉」の関与する余地が少なく、身体運用(一般的にいえばいわゆる「運動神経」?)的なものを問う色合いが非常に濃いにもかかわらず、しかし番組側はやたらと筋肉を連呼(文字通り連呼!)し、さらにはそうした筋肉自慢をたくさん用意していたが、妙なことではある。
 彼らの感覚では、スポーツ、運動、運動神経、これらは全て、「イコール筋肉」という粗雑な認識感覚なのだろうか…あるいは彼らに限らず、今日の一般的通念もそうなのだろうか…

 僕は自身、政策としても身体フロンティアということを掲げていくつもりだが、まさにこうした今日の身体感覚、体育感覚からの脱却、それを義務教育においても社会活動においても進めるのが、僕の目指すところだ。

 ついでながら、身体意識と思想やキャラクタは密接な関係にあるというのが僕のかねての持論だが、そうした意味でも、この身体軸、中心軸の保持ということは実はなかなか意味深いのだ。^^)


posted by Shu UETA at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 武術/身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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