今朝はテレビからのニュースの声にびっくり。
なんと、「春の雪」が映画化とはっ!
三島由紀夫「春の雪」妻夫木主演で映画化
松枝清顕を妻夫木聡が、綾倉聡子を竹内結子が。
監督は行定勲。
「春の雪」、というか「豊饒の海」四部作はすごく好きな作品で、僕としてはきわめてめずらしく、何度か読んでいるんだけど、中でも「春の雪」は、今でも、なんでもないときにふと読みたくなって引っぱり出してきてしまう。
「春の雪」は恋愛ものとしても好きだけど、「豊饒の海」全体を通して、それぞれの主人公たち(同一の魂…?)の意志いうもの、fragileな感じ、そして「時」というもの、それを超えるなにものか、また仏教哲学でいうところの阿頼耶識(あらやしき)といもの、そういったさまざまに惹かれて惹かれてしかたがない。
もっとも、今回の映画では、ただひたすら恋愛物語として描くようだけど。
(ある意味仕方ないか、四部作をすべて映画化するわけにもいかぬだろうし)
まあ監督が監督だから、やはり狙いは恋愛映画なんだろうし。
しかし、あまりいないかもしれないけれど、もしまだ読んだことがないという人には、一度手にとってみては、とお薦めしたい。
「豊饒の海」という四部作の、最初が「春の雪」、そして「奔馬」、「暁の寺」、「天人五衰」と続く。
あまり知ってしまっても楽しみがなかろうというものだけど、大きな流れ(まさに流れ!)を紹介すると、
「春の雪」の舞台は明治から大正の東京。主人公は侯爵家の息子、松枝清顕。綾倉伯爵家の令嬢、聡子との悲劇的な恋の話。
このシリーズを通じての副主人公である本多は、清顕の親友。
四部作は全て、主人公が異なるが、この本多は、「春の雪」に清顕の友として18才で登場してから、「天人五衰」に80才で登場するまで、ずっと主人公たちに関わっていく。
主人公たち…しかし彼らは同じ一つの魂、清顕の転生として描かれる。
輪廻転生…などというと、なにやら陳腐な話を想像してしまいそうになるが、とてもとても、さにあらず。そこは三島由紀夫だ。
しかし彼は、「春の雪」の巻末に自ら明確に記している。
---「豊饒の海」は「浜松中納言物語」を典拠とした夢と転生の物語であり、因みにその題名は、月の海の一つのラテン名なる Mare Foecunditatis の邦訳である。 …と。
三島由紀夫の描写力の美しさもさることながら、僕は、恋ということを思いもすれば、そして「時」ということを考え込み、意志ということを考え、そして阿頼耶識なる万物の根底に深く共有されるあらゆる智と情報の場ということについて思索せずにはいられない。
以前どこかでも書いたけれど、僕はもとより、全てが根っこでつながっているような「全体」というもの、そしてそれから分かれ出て存在している万物個々というものを直感し、想定もしている人間なので、なおさら考えさせられる。
まだ手に取ったことがないという人がもしもいれば、僕はお薦めしたい作品のひとつだ。




春の雪 ―豊饒の海
奔馬 ―豊饒の海
暁の寺 ―豊饒の海
天人五衰 ―豊饒の海
【関連する記事】
おお、「構造構成主義とは何か」つながりですかっ
あれに関してはいろいろな直感直観がはたらいたのですが、やはり、いろんな良いものを僕に連れてきてくれるようです。うれしいですね。^^)
wordsについてはお恥ずかしい限りでコメントし難いですが ^^;)、しかし何か共感してもらえる点があるとすれば、これほどうれしいことはありません。
本多ですか あははは
どうでしょうか ^^;)
そうですね〜 考えたことはなかったですが、自分としては、松枝と本多の中間、かなり本多よりといったところでしょうか、やはり。あははは
> 種は一緒で木としては同じ種類なんだけど・・・。うまく表現できませんが、でも一緒なんだからどちらがすごい木だろうなんて争う必要はないんじゃない!みたいな感じ
すっごく同感ですっ
そうした共感がある限り、僕らは、意見が異なることはあっても波長は合わせていけるのだろうなと思います。
今後とも、こちらこそよろしくお願いします