2005年02月24日

愛国心は当否より有無

 standpoint1989さんの「静かなる愛国心を」に実はコメントを書いていたのだけれど、どうも途中で、コメントとするには些か長くなり過ぎたので、自分で記事とするほどに考えがまとまっていないにも関わらず、T/Bにすることにした。^^)
 いや…正直、standpoint1989さんにT/Bするには余りにも自分の技量が稚拙で気が引けるのだが。

 故に、この記事をご覧になる際は、ぜひ冒頭リンク記事をまず参照されたい。


 「おそらく単に論じる視点の差かもしれませんが… 僕は、「何かを愛国とし、何かが愛国でないと切り捨てる」ような必要が求められているというよりも(いや、そんな人もいないとは言いませんが ^^;)、それぞれに愛国心的なもののあり方考え方は異なれども(まあ雑な例えをすれば幕末の各論各派のように)、そうした心性が「あるか無いか」ということが、国家社会に大きな影響を与えるのではないかと、そして、それが「無い」ということを危惧しているというのが、愛国心教育に何らかの必要性を認める論者の中の良心的な人々ではないのかなと、思っています。

 どうも句点のない長い一文で拙い文になってしまっていますが、つまり、愛国心なるものの基準を定めることではなく、各様各態であれそうしたものを持つことを勧めたい、ということではないかと。少なくとも僕はそうした立場ですが。

 そうしたものを各自が例え各様であれ持ったうえでの議論は善しとすべきであって、問題(特に昨今の雰囲気として)は、そうしたものから一切解き放たれて(むしろそれを推進しようという人々も多いですが)、言わば我利我欲のみを基準とすることこそ「国を滅ぼすことにつながり」はしまいかと、僕なども危惧する気持ちがあります。
 経済に働く(かもしれない)神の手は、社会にとっては悪魔の手ともなり得るのではないか、と。

 もっとも、その割に「愛国心」などを取り沙汰する政治家諸氏にこそ「我利我欲」の権化がいはしまいか、ということもありますが、その難詰は僕にはしないでください、コントロール外なので。^^;)」


 と、ここまでコメント欄に書きかけていたのだけど、ここからは続き ^^)



 昨年には、例えば公明党幹事長の「国を愛するとは体制を愛することか」などという(僕などは開いた口がふさがらない)詰問が話題にもなったけれど、我が国歴史を振り返って、愛国者なんて評価を受けるような人は、むしろ、時の体制に反する人のほうが多いくらいだと思う。

 吉田松陰にしてもそうだし、あるいは対象が国ではなくとも、徳川家に対する勝海舟、毛利候に対する高杉晋作…
 葉隠でさえ、体制に阿るのは忠義ではないと言っている。

 そして実は、これは我が国に限らないのでは…
 ハリウッドものの映画でもいいし小説でもいいけれど、体制派の patriot(愛国者)的ヒーローなどあまり見かけない。(いないことはないけれど共感はさほど呼ばない)

 むしろ、「Brave Heart」におけるメル・ギブソンの役(イングランドのスコットランド支配に反抗蜂起)であるとか(Freedomを連呼しまくるあたりがアメリカの政宣映画のようで多少鼻につくが、僕は割と好きな映画)、あるいは「Armageddon」のブルース・ウィリスの役のように最後まで体制的なものに反感というかいけ好かなさを持ったまま、あくまで自分なりの価値観で博愛的犠牲の道を選ぶような、そんなヒーローたちこそが大いに人々の共感を呼んでいる。

 実は、体制派にとってこそ、「愛国心」なんて概念は本来危険思想と感じられるのでは、なんてことも僕はふと考えてしまうくらいだ。

 先に言及した冬柴幹事長の発言にしても、戦前のことを思えば当然の疑問である、かのように受け取る人もいる。

 しかし、そして僕は戦時中を実体験してはいないから文献等に依らざるを得ないけれども、実際のところ、「愛国心」なんて言葉は戦前の体制が好んで使っていたような用語ではないと思う。
 「非国民」という言葉は愛用語 ^^;)だったと見受けるけれども、愛国心なんて言葉はまず見かけない。

 そして、この「非国民」という言葉は、「愛国者(国民)」の反対語という感覚ではなく、ざっくばらんに言うならば「国を愛していない」ではなく「国(体制)に協力的でない」というニュアンスが色濃いように思われる。
 なぜなら、文字通り非国民的に認識されて収監されていた政治犯の中にも、裁判官や検察側がその愛国心(憂国)は認めている者もいる。
 そして幕府も、明治国家も昭和国家も、「愛国者」なる者たちにこそ最も苦しめられ、頭を悩ませてきている。


 いずれにせよ、「何かを愛国とし、何かが愛国でないと切り捨てる」ようなことが罷り通るような社会については、僕もstandpoint1989さんと危機感を同じくするけれども、そうした個々人の愛国心の当否を問題にするのではなく、各人各様であれそうした「愛国心」的なものを持ちましょうと、つまり当否ではなく有無を問題にするのは、僕は妥当ではないかと思っている。

 必ずしも適切な例えでないことは承知だが、忠義、忠孝と、体制的教育の権化のようにとらえられる武士の教育においても、主君やお役目筋に盲目的に従うことを善しとするような教訓、教育書は皆無だ。
 もちろん彼らも人間であるから、実際には多くの人々が盲目的従順に甘んじていただろうけれども、しかし建前としては、それが正しくないことは頭では皆が知っていただろう。
 例え行動が伴わなくとも、少なくとも頭で知っているだけで、何ほどかの教育効果はある。そうするとそこには正論というものが(周囲を煙たがらせるとしても)通る余地がある。

 僕の尊敬する近世史学者の一人である笠谷和比古氏は、そうした旧武士の心性を「剛直」と表現し、その「剛直」の喪失と「我よし」の態度の蔓延が今日の組織における不祥事多発につながっているのではと警鐘されている。(重ねて言うが、武士が全てその「剛直」であったわけではもちろんないが、それを少なくとも建前としては認識していたことに意味がある。今日では、はなから「我よし」をこそ建前としている人々も多い。)

 今日においても、愛国心的なものの感性や価値観、基準感が個々人によって異なり、それが激しい議論を戦わせるとしても、それはむしろ民主国家において望ましいことであり、それよりも、万人が共通の愛国心を持てないからといって、そうした愛国心的なものを欠いた基準で行動し、あるいは議論することのほうが余程問題であり、どちらかと問われればこちらこそが「亡国」には近い道ではないかと思う。

 そして、standopoint1989さんは温かい眼差しで、教育などされなくとも、誰しも自分なりの愛国心的なものは持っているものだと、皆さんもそうでしょうと呼びかけておられるが、僕などはもう少し狷介であるのか、この点には今の社会にむしろ危機感をもっている。

 一方で、そんなことは教育したからといって簡単に育めるものでもあるまいと、それらは個人個人にさまざまな経験や見聞をしながら自然に自分なりに身につけていくものでしかないのではないかと、それも確かにその通りだろうとは思うのだけれど、先ほどの「葉隠」や武士の一般的な教訓書のように、仮に頭でのみわかっているだけでも、それはひとつの社会的基準(価値観そのものではなく、そうした価値観を持ちましょうという基準)として認識はされ得るのではないだろうか…いや、う〜ん、このへん確信には至らないが ^^;)


 ちなみに僕に関して言えば、その「危惧」的なものは、「愛国心」というよりも「公共心」の問題に近くて、政治家や官僚など一部の人々には「愛国心」が是非必要だとは思うものの、一般的に(つまり学校教育などで)は、必ずしも「国」まで想起させなくとも、「自利」と「公利」あるいは「利他」とのバランス感覚を言うことにこそ必要性を感じている。そして、「公共心」は、必要なれば後に「愛国心」を養う土壌にもなるだろうので。

 (もっとも本来であれば、元寇と武士団の時代や王様と貴族の時代なら彼らのみに必要な愛国心ともいえるが、今日、多くの人が好んで国民と対置したがる「国家」とは、結局国民の代表(代議士)と国民の有志(官僚)であって、自衛隊も国民の有志に過ぎないことを考えれば、国民がそうした職を選んだ時点で急に愛国心が必要になるというのも、どうかなとも思いはするのだが。常々開陳するところだが、僕自身は、国家と国民は一体と考えているので。)

 僕自身はそういう感覚ではあるが、しかし、「公共心」と合わせて「愛国心」にも触れられたとして、別に差し支えないのではないかと思っている。
 日教組の忠実な組合員が、「国家」などを痛罵しつつ公共心などについてはこれを涵養させようとするというのも、いくら子供が相手とはいえ子供の感覚的にも整合すまいだろうし。

 (余談だが、これは真実だ。僕の育った兵庫県の芦屋市というところは、関西の人なら知っているかもだけど、非っ常に偏った思想教育を小学校でも行っていて(今現在は知らないが)国語も教科書などほとんど使わず、教師手作りの思想本を使っていた(いや、本当なんだ)。今はどうなってるか知らないけれど、当時の「道徳」で公共心的な話も出るものの、「国」なんてものの言いなりになっては絶対にいけない、個人は個人らしくということを平素繰り返し聞かされながら、一方で周囲の人のため、などと言われても、(僕は理屈っぽい子供ではあったから余計に)何だそりゃ…なんて感じてたものだ。そして、現に僕のようにそんな教育の効果をあまり受けていない人間がいるじゃないかと思うかもしれないけれど、しかし周囲の友達たちを見ていれば、もうきれいに教師の思うように誘導されていた子が多いのも事実。討論的なものでは教師が「適切に」誘導するし、僕はいつも子供心に切歯扼腕していたものだ。)

 どうしても、愛国者が体制擁護者になることを恐れるなら、教育資料を、吉田松陰や水戸浪士たちの読本にでもすれば問題ないのではないか?
 あ、水戸浪士は天皇礼賛だからダメなのか ^^;)
 でも吉田松陰などは、あの時点ではさほど尊皇色も強くないし使えるのでは。


 どうも例により話が拡散しがち、論理的な文章の体を欠きがちであって申し訳ないが、そもそもに立ち返ると、愛国心教育という昨今の議論の主旨は、愛国心の内容云々ではなく、その欠如こそが彼らの問題意識になっているのだろうと思うし、そしてもしこれが実際に教育内容に含まれることになったとしても、基準に示されるのは、それを「育むこと」という到達目標に過ぎず、その具体的な教育方法、内容等は教育現場で工夫されることになるだろうから、今現在それに反対し危惧しているひとたちが恐れるような「これが愛国心である」の押しつけのような教育にはなるまいと思う。

 しかしstandpoint1989さんが危惧されるだけの要因が世間にあるのも事実であって、僕は、愛国心教育なるものを主張する人にも次の二通りがあると思う。

 1 愛国心の何たるかを徹底したい
 2 愛国心という感情を持たせたい

 危惧の対象は1のようなものだろうと思う。(が、放っておいてもこの目論見は実現しようがないと思う)
 多くは2ではないかなと僕は観察している。一般教育では僕はさほどこれを重視しないとはいえ、一応僕もこちらに入る。

 なお、反対派にも二通りあるように見える。

 1 上記の1のような事態を恐れる
 2 愛国心などという概念自体受け入れられない

 僕は、1については、そんなこと無理だから心配ないですよ、と、2については、僕とは平行線ですね、と言うだろう、僕もそれが全国民に必須とは思わないとはいえ。 ^^)


posted by Shu UETA at 16:05| Comment(5) | TrackBack(1) | 天下-vision・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
shuさん。ご無沙汰しています。いや、ブログ間で熱い議論が展開されていますね。ここのところ、興味深く拝見していました。議論の内容に関しては、standpoint1989さんの最近のエントリーでコメントしてみましたので、よろしければご覧下さい。
Posted by yt at 2005年03月01日 00:00
> ytさん

 拝見しました
 さすがに、ytさんとstandpointさんの間での遣り取りの方が上質ですね ^^)
 standpointさんは、来る今月9日をもってblogを閉鎖されることを宣言しておられるのですが、もう少し、ytさんとのさまざまな議論を見てみたかったです。
 僕は、さる宣言のあった日に、blog閉鎖後もぜひメールなど遣り取りしましょうとstandpointさんに不躾なメールを送りつけ、何とか快諾を得た次第です ^^;)

 ytさんに、こちらにもお越し頂けるのは光栄です。
 僕は近い将来に政治に進もうと考えていますが、まだまだ不勉強ですので、将来にわたり、ぜひytさんにはいろいろと相談にのっていただけたらと思っています。
 僕の場合は、ytさんやstandpointさんをはじめ、さまざまな研鑽の師もしくは仲間となってくれるような方々と知り合いたいがためにblogをやっていますので。^^)

 今後ともよろしくお願いします。
Posted by Shu at 2005年03月01日 16:23
こちらこそ、よろしくお願い致します!
政治に進むというと、政治家さんということですか??それは興味深いお話ですね。あの世界はあの世界で、色々と大変そうですが。。。僕は、政治家秘書をやってみたいと、「クニミツの政」を読みつつ思ったりしてますが。。。(笑)
Posted by yt at 2005年03月03日 01:18
> ytさん

> 政治家秘書をやってみたいと

 おおっ
 それでは、なおのこと、(幼稚な表現ながら)仲良くしていきましょう ^^)、お互いどのような政策に関わることになるにせよ。

 そしてフリーでおられる間は(あるいはいつか僕らに力を貸していただけるならその時はもちろん)、いろいろご見識や知恵をお貸しください。^^)

 コミックでいうと、「加地隆介の議」なんかもなかなか面白いですよね。国光にくらべると多少リアルな生々しさも出てきますが ^^;)
Posted by Shu at 2005年03月03日 08:46
「加地隆介の議」、読んだことがありません。。。近いうちに挑戦してみますね。ご紹介ありがとうございます。
Posted by yt at 2005年03月04日 01:35
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愛国心教育への危惧
Excerpt: さて、愛国心の話である。先日、静かなる愛国心をという記事を書いたところ、Shu さんよりトラックバックをいただいた(こちら)。 多分前提として、愛国心が普通にどこにでもあるかどうかというところで、私と..
Weblog: 小さな目で見る大きな世界
Tracked: 2005-02-27 07:52
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