2005年02月18日

(読書) 「万物理論」

 cover

 僕は、あまりSFを好きではない(Science Fictionという本来の意味では大好きだが、Futureという要素が濃くなるとあまり好きでない)のだけど、いわゆるハードSFものを久しぶりに読んだ。

 2055年なんて未来、しかもやはり予想通り、過去の時代(たいてい現代)をいろいろ小馬鹿にするような陳腐な話が盛りだくさんの、まさに僕の好きでない要素を多分に含んだものだったか、前半ごく最初の頃のそれに我慢さえすれば、非っ常に面白い作品だった。

 さて、そうした意味であまり立ち入らない分野であるにも関わらず僕の心を惹いたのは、本のタイトルだった。万物理論なんて聞いて、とても無視はできない。(タイトルを見たときには、そんな未来ものだとは思わなかった)

 万物理論という言葉に馴染みがないひとでも、大統一理論、超大統一理論といえば、聞いたことのあるひとも多いかもしれない。

 物理的な法則というのは、4つの基本的な力で構成される。(電磁気力、重力、弱い力、強い力)そしてこれらの力はそれぞれの方程式で記述することができるけれど、これら全ての力を統一的に記述するということが、超大統一理論であり、万物理論とも呼ばれている。つまり、この宇宙のあらゆる物理現象を記述する統一理論だ。
 ちなみに、電弱統一理論は既に実現している。
 万物理論こと Theory of Everything は、アインシュタインも大いに取り組んだけれど、成果をみることはできなかった。

 さて、その万物理論が完成した、というのが本書の物語の重要な柱。

 例によって、まずは文庫本裏表紙の文を紹介してみよう。

  すべての自然法則を包み込む単一の理論、「万物理論」が完成されようとしていた。ただし学説は3種類。3人の物理学者がそれぞれの「万物理論」を学会で発表するのだ。正しい理論はそのうちひとつだけ。映像ジャーナリストの主人公は3人のうち最も若い20代の女性学者を中心に番組を製作するが…学会周辺にはカルト集団が出没し、さらに世界には謎の疫病が。究極のハードSF!


 このストーリは、ネタばれ厳禁とすべき内容なので、あまり多くを紹介することはできないけれど、物語を構成するいくつものテーマのうち、僕が気に入ったテーマは、

1 宇宙森羅万象を説明するという万物理論
2 宇宙は、人間から説明されることで存在するという仮説
3 人間と人間が理解し合うことや愛し合うということの是非、あるいは可否
4 真の民主主義とは、そして無政府主義とは

 もちろん、他にもさまざまなテーマを含んだ物語だけど、僕が特に考え考え楽しんだ、そしてその後もこれを触媒に考え続けているようなテーマは、これらのものだった。

 主人公は、当初、非常にシニカルなキャラで、そして僕はそうした冷笑的な人物が大嫌いなので、ほとんど感情移入もしなければ、しかも冒頭にも書いたようなつまらないSFノリの数十ページのため、あやうく読むのを止めそうになったが、しかし物語が進むにつれ、主人公もキャラを変えてくる。キャラを変えるというよりは、状況が彼を変えざるを得なかったというべきか…

 科学的側面、推理的側面、サスペンス的、そしてアクションも含む、おもしろいストーリーだ。そこに、哲学的なものも乗ってくる、考えさせられる。

 そこそこの大部作(文庫本600ページ)だが、途中から残り2/3(つまりほとんんどだ)は一晩で一気に読んでしまった。
 多少理屈っぽい文章なので、誰にでも気軽にお薦めとは言いにくいが、読書が苦にならない程度には本を読みつけている人には大いにお薦めしたい。


 さて、これも例によって、最後に、ストーリ展開を察知させない、ネタばれにつながらない範囲で、僕のお気に入りの箇所のひとつを紹介しておこう。
 (改行はほとんどないので、ここでは適宜入れてみた。しかし…なんだって近頃の本って、平仮名だらけなんだろう --;)

  ヴニボボがしゃべりはじめた。
 「昔はそれと似たようなものを思い描いてた。でも、事故のあとで変わった。いま目を閉じて世界を想像すると…見える地図はおんなじ、大陸もおんなじだけど…土地はじつは土地じゃないの。どっしりした大地に見えるのは、ほんとはぎっしり寄り集まった人間の塊。陸地なんかどこにもない、立てる場所なんてまるっきりない。人々はみんな海に浮かんでて、立ち泳ぎしながら、たがいに支えあってる。人はそうやって生まれ、そうやって死ぬ。おたがいの頭が波の上に出てるようにしようと必死になりながら」
 そこで急に照れたように笑い声をあげてから、喧嘩腰で、
 「だって、説明しろっていっただろ」
 「いった」
 まばゆい珊瑚の入江は漂白された石灰岩のぬかるみの流れに変わっていたが、このあたりの礁岩は繊細な緑色や銀灰色にちらちら光っていた。
 ACの船に来たほかの漁農家たちに同じことをたずねたら、どんな答えがきけただろう、とぼくは思った。おそらくは一ダースの別々の答えだ。ステートレスを動かしている原則は、人々はまったく異なる理由から、行動を同じくすることに同意する、というものであるらしい。それはたがいに矛盾する位相の和が、プレ宇宙の計算法を役立たずにするようなものだ。政治学や哲学や宗教が押しつけられることはなく、旗やシンボルを崇拝する頭の悪い応援団もいない---だがそれでも、秩序はあらわれてくる。
 それが奇跡的なことなのか、それともどこにも謎はないのか、ぼくにはまだ判断がつかない。
 秩序は、多くの人がそれを望む場所でのみ生まれ、存続する。あらゆる民主主義はある意味、スローモーションにした無政府主義だ。どんな法律も、どんな政体も、時間が経てば変化しうる。成文化されているものもいないものもあわせて、どんな社会契約も破られうる。それに対する究極の対応策は、惰性と、無関心と、あいまいさだ。だがステートレスの住民たちは、おそらくは非常識な勇気をもって、政治的な結び目をほどいてもっと単純なかたちにし、権力と責任、寛容と合意に関する構造を剥きだしのまま直視している。
 ぼくはいった。
 「きみたちのおかげでぼくは溺れずにすんだ。お礼はなにをすればいい?」
 ヴニボボはぼくをちらりと見て、本気の度あいをたしかめた。
 「もっと懸命に泳いで。わたしたちみんなが浮かんでいられるよう、手を貸して」
 「やってみるよ。チャンスがあればね」
 穴だらけの予防線を張ったこの中途半端な約束をきいて彼女は微笑んでから、ぼくに思いださせてくれた。
 「わたしたちはたったいま、嵐にむかってまっしぐらに進んでるんだよ。だからチャンスはあると思う」




 cover
 万物理論
posted by Shu UETA at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。