2005年02月01日

(名将言行録) 大敵と小敵

「名将言行録」26号関連記事

 マガジン26号では、備中高松に秀吉の大軍をむかえ、吉川元春が小早川隆景に対して、大軍相手と小敵相手の戦いの違いということを語っていました。

 これは実に戦いというものの一面の真理をついたものだと思います。
 さらには、かの「葉隠聞書」にいう「大事の思案は軽く、小事の思案は重く」ということをも思い起こします。(僕自身の座右銘のひとつでもあるので、度々言及しますが ^^;)

 元春の言い条、あらためてここに繰り返してみましょう。
 マガジンは口語意訳でお送りしていますが、ここでは風合いをも楽しむべく、原文で紹介してみましょう(ただし漢字は一部を除き新字体にしてあります)。

 隆景武道に心得ずも承るもの哉、
 何條勝久如きの小敵と、一同の観をば為すべき、
 勝久等の小敵には、先づ自ら負けざる工夫をして、身を縮めて、戦を為せば、彼小敵なるが故、次第に威衰へて、終に敗北するものなり。
 小敵をば恐るべきなり、


 偖(さて)又信長を敵として、秀吉と矛盾に及ぶには、彼は大敵強敵、殊に秀吉は智勇兼備せし者なれば、敵に弱氣付くと見ては、只一時に攻破り、其足を止めず、三箇国も五箇国も、直に押入る様なる弓執なり、
 去る故に、父元就、陶晴賢を厳島に於て討亡し、偖一両年を置きて後、山口へ入り給ひたるを聞て、元就の弓箭も古風なり、吾ならましかば、陶を討て、其勢に乗り、直に山口へ攻入るべし、然らば、大内義長は、其年に亡ぶべきに、遠慮過たる弓箭の執様なりと批判せしと聞く。

 斯る大不敵の秀吉なれば、味方少しも弱氣を見せば、威に任せ、大軍を以て即時に押破るべし、斯る大將の然も大軍なるをば、吾勇を専として、重さ(かさ)に掛り、彼が氣を奪ひ、動(やや)もすれば十死一生の戦を決せん体を示してこそ、宜しかるべけれ、
 其を小敵と一般の思ひを為し、危き戦を慎み、身を大事とのみ心得たらんには、敵に威を奪はれ、味方の氣後れて、終に刃に血ぬらさずして大敗するものなり、
 大敵を見ては恐れず勇みたるが善きなり


 父尼子を攻給はんとて、出雲へ押入り給ひし時は、戦を後にして、謀を先にし、陣城を築て、身の全き行を為し給ふ、
 陶如きの大敵には、彼二万余に、我三千を以て対陣し、風雨に厳島に渡て、十死一生の戦を挑み給へり、
 是亀鑑にあらずや。

 秀吉如きの敵を、勝久抔に対する様に心得て、危しゝゝと慎みなば、終に戦はずして、大に敗北すべし、
 敵に依て変化すと言ふは、此所なりと言はれたり。

(実はマガジン誌上の意訳文でさえ、文章や字が難しくてわからないというメールをしばしばいただいています。よって努めて平易を心がけていますが、たまにはこうした文体の雰囲気もいかがでしょうか。けっして古文ではありませんし、個人的には、こうしたものにもたまにでも親しめば、日本語のまた別の一面の良さ、美しさが楽しめると思います ^^)

 この話からは、幾多の戦場に勝利してきた名将の、また、元就をして戦のことは万事元春に任せよと遺言せしめた元春が戦場で培ったセンスが、説得力をもって伝わってきます。
 これは戦闘の技術論というよりは、多分に、戦いの呼吸とでもいうものですが、こうしたことは、現代においても、スポーツであれビジネスの場であれ、なるほどと肌で納得できる人も多いのではないでしょうか。

 味方の方が強ければ、無駄に戦力を失うことをも避け、かつは敵の窮鼠猫を噛む乾坤一擲を警戒し、じっくりと攻めることが大切です。
 元春が「先づ自ら負けざる工夫」と言うように、まずは不敗の態勢をしっかりと整備して臨むことです。

 逆に味方が劣勢であれば、士気まで劣勢となることを避けねばなりません。
 また、お互いにじっくり向かい合えば、戦力の差でやがてはこちらが敗れることになります。
 そこで、劣勢の側は敵に鋭鋒を突きつけ、敵を辟易させる、あるいは大いに警戒させることも必要になってきます。
 弱者が鷹揚であるわけにはいかないのです。

 これらの切り替え振りということでは、信長、秀吉、家康のいずれもが実に長じていました。この三人はいずれも、弱者の戦いと強者の戦いの両方を実地に経験してきた武将です。

 もっとも、戦略と戦術を混同するべきではありません。
 戦略の次元においては、そもそも、敵より劣勢で開戦すべきでなく、勝利を計算して戦いに臨む、あるいは臨ませるべきです。

 とは言え、自ら開戦せずともそれを余儀なくされる場合があり、あるいは、より大局的な判断から、ここ一番の大勝負が必要である場合があり、また戦術指揮官の立場では、上層部の戦略判断の誤りを嘆いても仕方がない場合があります。


 さて冒頭にも触れましたが、こうした一見パラドクス的な考え方は、葉隠に言う「大事の思案は軽く、小事の思案は重くすべし」との言葉をも思い起こさせます。

 これは、大事ともいうことは数も少なく、あらかじめ想定しておくべきことがたいていであり、こうした問題については平素からじっくりと対応策等を考えておき、いざ事が起こったなら、慌てず冷静に、かねて熟考の対応策を淡々とうっていけるほどでなければならない、
 逆に小事ということは、日々起こり得ることでもあるが、そうした一見些末と見えることこそ、些末と軽視するのではなく十分に慎重に対応しなければ、足をすくわれたり、大事を招いたりということがあり、アリの一穴ということもあるのだと、
 そのように僕個人的には考えています。


 世の中に、こうしたパラドクス的な考え方が的を射る場面というのは多いもので、柳生新影流に言う「静中動あり、動中静あり」ということも、こうした心構えは日常でも仕事でも非常に有益です。


 さて、パラドクス的ということでさらに付言しておくと、マガジン今回号では、ここまで触れてきた「12 強者への対し方」だけではなく、「11 士気」という方についても、僕は思うところがあります。

 おさらいしておくと、「11 士気」での話はというと、備中高松陣において、敵は味方に倍する大軍、しかも近日中には信長自らの発向もあるとのうわさで、すっかり毛利勢は浮き足だっていたところ、吉川元春の悠々とした態度に、全軍が落ち着きを取り戻していったという話でした。

 指揮官、上司の姿勢というものは、一般に思われる以上に、大きな影響を部隊に与えるものです。それは、危急時において意識される場合のみならず、部下たちが意識することなく無意識に影響を受けるということもあります。

 危急時には部下が上司の顔を見ます、指揮官の顔を見ます。
 こうしたシーンは映画などでもよく見かけるのではないでしょうか。

 そうした際、指揮官は、内心の不安を顔に出してはならないものだとされます。不安の場面で指揮官が不安を表せば、部隊は浮き足立ちます。
 さきの元春の姿勢とは、まさにこうした場面でのものです。元春の悠揚とした態度が、やがて部隊の士気を回復させていきます。

 さて、これに、逆の場面での着意というものを、僕は付言しておきたいと思います。
 それは、部隊が、恐怖や不安からではなく、余裕や油断から浮き足立ちそうな場面で、指揮官は逆にこれを引き締めるような態度、表情をとるべきだということです。

 最近僕が目にしたものでは、アメフト、NFLの各カンファレンスのチャンピオンシップにおける、イーグルスのヘッドコーチや、ペイトリオッツのヘッドコーチ、QBブレイディの姿勢がそれでした。
 いずれも勝利して、来る6日にスーパーボウルを戦うのですが、その勝利目前の瞬間にあっても、彼らは表情を緩めることがありませんでした、勝利で試合が終わるその時まで。

 つまり、ここにもパラドキシカルな着意法というものがあると僕は思うのです。
 指揮官とは、ピンチにおいてはのんびりした顔を、楽勝ムードでは引き締まった顔をするべきだ、と。

 多くの人にとってより難しいのは前者かもしれません。
 僕の経験から、ひとつつまらない手を紹介すると、危急の場合、自分自身多少表情が固いなと思えば、手のひらで一回つるっと顔を上から下に撫でてみるということもお薦めです。「つるっと」という語感が大切で、これを力を入れてゆっくり撫でると、逆に苦悩の様になってしまうので要注意です ^^;)
 他にも、あえてゆっくりしゃべることを意識するなど、いろいろありますが、やはり個人個人で自分に合ったやり方を見つけていくべきなのでしょう。^^)

 何かが出来した時に、さっと皆がこちらを見る、僕は、これほどわくわくする瞬間はないと思っています。また、そこでわくわくできるくらいでないと、指揮官は務まるまい、とも。
 何故といって、そうした時のために存在するのが指揮官であって、平素は、あれこれやかましいことを言わず部下に任せていればよいのですから。危急の時こそ腕とハートの見せ所です。^^)



 次回、27号は、秀吉天下のもとでの話です。
 元春は隠退しますが、いまだ戦乱残る世間が隠居を許しません。
 お楽しみに。


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posted by Shu UETA at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 名将言行録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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