2005年01月31日

(words old) 愛と恋の雑記

 愛と恋の雑記 1995.12

愛してる、と心から思う その気持ちは、
きっと 存在しているんだろうとは
思う。

でも もし、
愛が永遠のものでなければならないのなら、
あるいは、そういうものは 存在しないのかもしれない。

僕には 近頃 愛というものがわからなくて、
僕には 愛なんてないのかもしれない、
そう考えると せつない。

愛はわからなくても、恋ならわかる。

昔は少なからず小馬鹿にしていた「恋」って言葉を
いま僕は大切に思うようになった。

わかりやすくって、ずっと原始的、
純粋で、情熱的で、
エネルギーにあふれた気持ちだよ。
哲学的なことや形而上的な一切に犯されない
正直な気持ち。

「かつて日本に愛はなく、ただ恋があった」
そう言う人がいたのを、
近ごろ思い出す。

幕末の日本をたぎらせた想いも、
国ヲ愛ス ではなく、国ニ恋スルだったかも、って
妙に納得がいった。

恋闕(れんけつ)の情とは ある種の才能だ
そう達観したひとを 後世の僕らは知っている。

恋という才能

だけど
恋をして、それが愛かどうかなんて勘ぐりもせず、
あるいは それが愛になっていくのかも。


永遠の愛ということに 焦がれながらも、
人は変わっていいんだと、そう思えるように
僕は、なった。

どんなことも 変わってしまうということは さみしくって、
泣きそうになることもあるけれど。

かつて、箸の持ち方を直すことになったときでさえ、
それまでの あの持ち方 をしていた自分が
消えていってしまうような、なんだか泣きたい気持ちに
なったのを、思い出す。

だけど 人は変わってもいいんだよ。

さみしいけれど、かなしいけれど
それでも
人は変わっていいのだと、思えるようになって、
そのかわり
愛と軽く言えなくなった。

人は、変わらないものを求めてるから、
その、不変にして悠久のものを求めるところに 何かがあって、
変わらないという信念、変わらないでいたいと思う、
その状態こそが
愛してるってことかもしれない。

だから、愛してる、愛してる、って
一生懸命いうのかな、
伝えようとするのかな。


愛そうとすればするほど
愛が俗になりそう、って あのひとは言った。
そして 僕も
いつもそれを考えてた。

「俗」というものは、人為的な作為から生まれる。
でも、そういう作為的な何かを伴ってしまうというところに、
愛というものの正体があるのではないだろうか。

愛は、「愛そう」「愛したい」という、
美しき作為なのではないかと。
極めて能動的な。

そんな作為が
愛ということで
永遠の何か美しいものを求める、求め続ける気持ちが
愛そのものなら、、、
いつも愛というものにつきまとう小理屈や蘊蓄は 当然のもの。

愛という努力


そんなこんなを歩き回って、
僕はあらためて 恋ということに たどりついた。

恋は、自然に湧き起こる気持ちで、
作為も理屈もない。
たとえ、抱きしめたいから始まったんだとしても、だ。

僕たちは、
僕を愛してくれとは言えても
僕に恋してくれだなんて
言えるはずがないんだ

僕が 僕を愛してくださいと
誰かに、僕を愛してくださいと
そして誰かがそうして努めてくれても
誰かが僕を恋しく思ってしまったということにくらべれば
なんてつまんないことだろう

愛という努力
恋という才能

恋の病は かわいくても
愛の病は なんだか怖い


恋はきっと、この恋の時間なんて気にとめない。
永遠も瞬間もなく。   そして、
永遠のきらめきが、一瞬のきらめきより 美しいなんて
誰に言えるだろう

それに、永遠に恋しく思い続けたら、そのときは それを愛だと
誰かが言っても、言わなくても、
どうだっていいんだ。

だけどきっと、永遠なんて言葉に縛られる必要ない。
「この恋もいずれ終わる」かもしれない、
そうでないかもしれない。
だけど、今夜であろうと永遠であろうと、
「今」の積み重ねに違いない。
恋は「今」の中にある。

永遠に君を、今と変わらず、愛する、
と言うのも、それは何年後でもなく、
そう言える「今」のことを言っているんだと思う。

そしてそれは、まさに恋に違いない。

僕が信じるのは
恋しい気持ちは逢いたい気持ち


posted by Shu UETA at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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