2005年01月31日

教育基本法改正先送り(前)


 自民党が目指してきた教育基本法改正案の今国会提出は、どうやら見送られることになるようだ。臨時国会に似つかわしい議題かということを考え合わせると、少なくとも通常国会、つまり来年以降への持ち越しということになろう。

 愛国心、自公深い溝 教育基本法改正案見送り(産経)

 教育基本法改正案、提出見送りへ 「愛国心」調整つかず (朝日)

 上記ニュース記事で表題にされる通り、今回見送りの主因は、「愛国心」をめぐる(正確には「国を愛する心」)をめぐる、公明党の反対について調整がつかなかったということとされるが、ニュース記事文中には指摘されるように、その他にも、義務教育費論議の行方を見定める必要性、さらには憲法改正議論の行方というものもあるということだ。
 (加えて、郵政民営化を是が非でも優先の官邸意向ということも付記されているが ^^;)

 僕個人としては、まず、今回の見送りには賛成だ。
 理由は、憲法がまず先というのが「ものの順」だろうと思うことがひとつ、他には、(本来法律で規定する当否は措くとして…後述、かなり「後」述です ^^;)こうした重要な理念であれば、与党間において十分な議論が必要であるのはもちろん、野党である民主党とも忌憚なく議論を重ねたうえで、限りなく満場一致に近いかたちで制定されるべきであろうと思うこと。

 さらに個人的見解としては、こと「愛国心」については、そう字句に拘る必要もないのではないかという気がしている。

 公明党の神崎代表がかねてから発言している「教育基本法には準憲法的な性格がある」ということは、その通りだと思う。(もちろん、自民党内にもこうした見解はある)

 少なくとも現基本法においては前文において事実上その趣旨を明言しているし、仮に現行法がなく新規に制定するとしても、やはり教育というものの本質を考えるならば、それは憲法の精神を踏まえずしてはあり得ない。
 一応(くどいかもだが)さらに説明を加えると、教育ということは社会の次代を育てるということであり、どのように育てるかということは、どのような社会を標榜するかということと不離のものであろうと考えられるし、この「社会」を国というレベルで扱うときは、その標榜する像とは憲法以外の何者でもないであろうから、と少なくとも僕は考えている。
 (現憲法下における基本法の改正ということも無論あってよいことではあるが、現に改憲論が現実味を帯びている今日においては、当然そちらを先とすべきだろう)

 教育基本法(全文)

 また一方で、憲法問題がそうであるのと同様(さらには国家安全保障戦略においても同様と僕は思う)、教育基本法についても、その国家の重要な基礎理念であるという性格からすると、ただ与党内の問題ではなく、広く野党との間でも協議がなされ、党派を超え、できるだけ大多数の賛成のもとに制定されるべきだとうと思う。
 であれば、自民党、公明党ということだけではなく、民主党との間での協議も十分に行うべきだろう。
 実際に法案として国会提出されてからの議論というのは(本来の意義には反するが)空疎なものだ。^^;) よって、それまでに十分な議論、協議を経て、理想をいえば、与党と民主党が共同提出できるくらいであるのが望ましいほどだと僕なんかは思う。
 仮に公明党の「愛国心」に関わる反対がなかろうとも、あるいは解決しようとも、現時点では民主党との間での摺り合わせは無く、上記のような僕の考えでは、いずれにしても時間が足りないと思われる。

 上記二点を主たる理由として、今国会提出の見送りには、僕は異論はない。
 かつ、1年を待てない喫緊の課題ではないとも思っている。教育における喫緊の問題は、多く、基本法レベルより下の運用面で打てる(打つべき)手もまだ多くある。

 ちなみに、民主党は、相変わらず玉虫色的な傾向はあるものの(「一部の保守勢力が志向する「国家至上主義的」「全体主義的」改悪に反対です」としつつ)、「自国の文化に対して誇りを持ち、正しい郷土愛や愛国心を持つことが、他国の文化に対する理解を深め、ひいては世界の平和に貢献できる日本人を育てることになります。」と述べており(21世紀の教育のあり方について(中間報告))、こと愛国心絡みでの大きな対立はなさそうだ。

 おそらく民主党は、教育の地方分権の盛り込みの点での要求となるだろう。
 その意志は、ネクストキャビネットの文科大臣による中央教育審議会答申について(談話)にも色濃い。

 ここで肝心の改正案だが、中央教育審議会 答申の概要はわかりやすくまとまっている。


 さて、ついでに「愛国心」をめぐる自民・公明の距離だが、僕には、そう大きな隔たりがあるとは見えない。
 自民の、郷土や国を「愛する心」に対して公明は「大切にする心」ではダメなのかとしていたが、もはやこのレベルでの対立は対立というほどのものとも思えなくなってきた。^^;)
 聖書にいう「神の愛」が、明治初期においてまだ「神の御大切」と訳されていたこと(そして僕はこちらの表現のほうが好きだが)を思い出してしまう。

 もっとも、公明にしてもこれは妥協の末であり、冬柴幹事長の有名な「国を愛するとは統治機構を愛するということか」との質問を思い返せば、本来は、愛するを大切にと言い換えても、あまり気は進まないはずだ。
 冒頭の朝日記事にあるように、公明党は最終的には、愛国心についても納得して矛を収める雰囲気があるようだが、朝日がいう夏の都議選が済むまではというのは的を得たところではないかと思う。

 僕自身は、愛国心という近代的な語感があまり好きではないものの(正確には、僕は「愛」という言葉があまり好きでない。どうも日本人的感覚ではないので。「愛し(かなし)」は好きだが…余談 ^^;)、しかし、それをうまく言い表す他の表現がこれといって思いつかないため、支持はしている。
 つまり僕の場合、用語の語感の好悪はともかく、言わんとする概念には賛成しているということだ。

 僕個人が語感を好んではいなくとも、しかし今日の国語(言語)の感覚では、「愛」という言葉は十分に浸透しているし、他の表現にしても「大切に」というのではニュアンスがかなり違ってくる気がする。したがって、公明案よりは自民党案の方を採りたいが、しかし絶対に譲れないとも思わない。そこで紛糾するくらいなら、じゃあ別に「大切」でもいいよ、と僕は言いそうだ ^^;) どうも締まりのない文章になる気はするが。


 実際には、そんな字句上の話ではなく、そうした概念そのものを採り入れることに対する反対意見が、しかし一部には強くある。上記したように公明も本来はそうだ。
 公明党は、第4回党全国大会重点政策で「基本法に国家主義的、全体主義的、戦前への復古主義的な考え方を持ち込むことについては断固反対します。」と宣言しているし、HPでは、当面する重要政治課題の中で、「見直しを検討するにあたり、「国を愛する心」を法律で規定することについては、戦前の反省を十分に踏まえて慎重に検討する必要があります。」と述べている。

 公明党はもちろんかなり穏当な表現をしているが、在野の反対運動家たちは、より直接的なことをかなり言っている。

中編につづく)


posted by Shu UETA at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 天下-教育・科学・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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