2005年01月12日

黄金の「時」

music Are you ready / MINMI

 standpoint1989さんがご自分の記事で、いわゆる伝統主義者(?)に対して「源氏物語を読んでみたことがあるのか」との問いかけをしておられた。

 伝統云々の話はこの記事のテーマでないので措くとして、このごくシンプルな問いかけに、僕は、はっとしたものを感じた。
 というのも、僕自身が会話中、あるいは記事中、源氏物語などを当然誰もが知るものとして例示することがある一方で、しかし、なるほど確かに誰でも知っているであろう反面、果たして読んでいるひとがどれほどいるだろうか、と考えてみると実に心許ない。
 実際、僕の親しい友人たちの中では、皆無の可能性もある(いや、非難してるわけではないよ> my friends ^^;)


 さて、しかしさらにこれ自身も今日の趣旨ではなくて、そこからさらに感じたこと、つまり、多くの社会人にとって、今は無くかつては有ったであろう、そうしたものにゆっくりと勤しむ「時間」の有り難さについて、少し考えてみた。

 いま書いた「有り難さ」とは、その文字通りに有り「難い」ことかもしれない。

 僕が源氏物語を(かなりの時間をかけて)のんびり読んだのは高校の頃だし、社会人になってから読み直したのは、一ヶ月ほどもの入院中という、ある意味「有り難い」機会においてだった。

 原典でなく谷崎版や与謝野晶子版であっても、読書家というほどでもない人にとっては敷居が高い分量かもしれない。

 多少なりとも感受性のある人なら、きっと面白いに違いないと思うのだが(そして僕は作中の和歌のセンスが好きなのだが:余談)、上記のような印象で、思い返せば、あらたまって人に薦めたということもない。

 standpointさんの記事を読んでいるうちに、また読みたくなってきたが、そんな僕でも今、今日読むかというと、ちょっと抵抗感がある。他に当座的要求から読まねばならないものがたくさんあるし、時間も有り余るわけではない。

 そうして思うのは、学生、それは高校であれ、まして大学の頃には、どれほど時間があっただろうか、ということだ。もちろんサークルもあればバイトもあって、いま学生の人の中には、そんなに時間などないという向きもあるかもしれないが…どうしてどうして、個人差はあるにせよ、職に就けばたいていもっと時間はなくなる。あるいは疲労感で、仕事が終われば他に気力を向ける余裕がないという状況に陥る人もいる。

 僕の場合などは恵まれていたほうで、特定の期間以外はそう遅くまで残業するということもなく、常に家は職場から近く、社会人としてはかなり時間に余裕があったほうだが、それでさえ読書時間を捻出するに様々に工夫していたものだ。テレビのコマーシャルの間ごとに読んでいたくらいだし(テレビを見なければいいという意見もあろうが、僕にとってそうはいかない ^^;)

 それに、そうして時間を生み出しはしても、工夫して捻出している以上、読みながらぼーっと考え耽ったりする余裕に欠けがちだ。

 少し脱線するが…
 古典を読めても社会に出て役に立たないだとか、数学なんて社会で使わないから意味がないだとか…そういった論は昔も今もよく耳にするが、教養の価値というものを今の大人、教師たちは語ってやれないのだろうか、といつも思う。(今日は教育論ではないので深く立ち入らないが)
 一見直接的には無駄なことをこそ、学生の頃に学ばずしてどうするのか、と(さきに僕も「当座的要求」と、大人になってしまってからのことを書いた)。僕自身出身者ではないから無責任な憧憬ではあるが、旧制高校などの学風を見聞きするにつけ、良き教養主義ともいえるものを感じる。

 左とか右というレッテリングと同様に僕が嫌いな分類に理系・文系というものがあるが、往時、たとえば僕の大いに敬愛する岡潔先生は偉大な数学者だけれども、記紀、万葉にはじまり、源氏物語にも奥の細道にも非常に通じておられた。あるいは湯川秀樹氏は、自宅で受けた論語の素読教育を、物理研究においても自らの発想の淵源と語っておられた。

 話を戻すと、つまりこうした教養を、岡潔先生にせよ湯川先生にせよ、まして僕たちのように学職にない者はなおのこと、社会人となってしまってからは「当座の要求」が大きく、ここでこそ「実際に直接的に役に立つ」ものにエネルギーを振り分けざるを得なくなってくる。

 かく半ば興奮気味に書いてきて ^^;)、何が結論になるのだろうと我ながら思うが、ひとつには、学生の方々には、今ある「黄金の時」を有意義に使ってほしいということになるか…(説教臭いなぁ --;)
 しかし、実際僕を含め、ここを見てくれている人々に学生の人はごく少数派だろう。すると、言うべきは(自戒も含め)、目の前の世界、現実の課題からちょっと視点を引いて、あるいは週に一日、あるいは月に数日、「当座の要求」に属さない読書や思索をする時を設定してみてはどうだろうか、ということか。


 さらに論点を変えて「黄金の時」について言うと…
 僕は、「上司は暇でないと」という信念を持っている。
 もちろん、指揮統率において、率先垂範ということが重要な意義をもち、リーダーがまず身を粉にして働いてこそ部下はついてくる、ということの意味もよくよく承知しているが、それでも僕は「指揮官には暇が必要」と信じている。

 僕は自身、自分が部下を持つ配置にある際には必ず、「自らは暇であること」を目指した。自分の組織に与えられた仕事は、方針を示した上でそれをいかに適切に部下に配分割り当て、あとは経過の監督と修正を適切に行うかということが上司の任務であって、自らが何事かに忙殺されてしまって全体の指揮を十分にとれなくなることは断固避けねばと思っている。
 だから、極論すれば(状況にもよるが)上司は机で新聞でも読んでいるくらいがちょうど良いとさえ思う。ただし、実はそうしながらも部下の会話に耳を澄ませ、仕事ぶりや顔色に仕事の進捗を観察しつつということを細やかに行うのだが。

 そして上司に「暇」があれば、彼がその「暇」を何に使うべきかというと、今当座の課題以外の、長期的な思考や、大局的な思考なのである。上司から部下まで皆が当面の業務に忙殺されていては、それを考える者がいなくなる。また、指揮官に必要な判断力は、そうしたことの積み重ねで磨かれもする。
 そうした思索を行う余裕こそが、指揮官に必要な「黄金の時」だと思う。

 そして、さきに書いた「率先垂範」や「自ら身を粉に」ということとは、別の次元で吻合すべきと僕は思っている。平素の業務と、何らかの緊急事態の際では事情が異なる。何らかの緊急の折、あるいは皆が尻込みするような場面でこそ、はじめて上司の先頭切っての率先が大きな意味を持つ。そして、緊急場面では上司がフリーであるからこそ自らを最後の予備戦力として援軍投入も戦機投入もできる。


 個人としても、組織においても、「当座の要求」にとらわれない「黄金の時」を持つようにしたいものと思う。

 ちなみに僕にとっては、TVもコミックも、実は僕なりの「黄金の時」の一環ではある。TVドラマやバラエティの話で盛り上がれる人に僕ほど本を読んでいる人がなかなかいなく、本の話や難しい話で盛り上がれる人に僕ほどくだらない番組をよく見ている人がそうそういない、ということは僕のささやかな自慢でもあったりする ^_^;)


posted by Shu UETA at 09:09| Comment(2) | TrackBack(3) | 思索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あちらさんにも行って来ちゃいました!
でも、まったく同意です。
私も同じような記事をいくつか書いたのでTBしますが
よろしいでしょうか?

ちなみに私の相方は、社会科学すぎて源氏なんか全然読んでいません!まあそんな分野の違いがあってもいいのではないかと、勝手に思っていますが(ヤツに適わない部分も私にはたっくさんあるんだし)。

いわゆる「教養」ということ、そして「教育」ということ。時間と「学問」の関係。
たぶん記事が三つくらいありそうな厭な予感がしますが、不適切でしたら切ってくださって構いませんので、ご一読いただければ幸いかと思います。
Posted by ぶんだば at 2005年01月13日 01:07
> ぶんだばさん

 まあ…一般教養は専門以前の話ですが… ^^;)
 そしてそれが不思議と専門分野での発想に役立つんですよね ^^)

 T/Bありがとうございます。
Posted by Shu at 2005年01月14日 00:41
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