とは言え、自分自身の中では年末にかなり整理されたのだが、人に見せるものとして形が十分でないといったところ。
とは言え、現時点でのものを少し紹介してみようと思う。
僕にとって、理念の根本は二つの言葉に帰結する。
それは、「守護」、そして「修理固成」だ。
そのうえで、政策を構想する要素には、それぞれ相反する二つの要素の組み合わせ二組がある。
ひとつは、「伝統」と「適応」
ひとつは、「人々の願い」と「自らの信念」
[信条・身上]
■守護
僕にとって、政治理念の根本の根本は、国民を守り、国家を守るということだ。
国民を守るとは、まず生命と財産の保護であり、それができたならば次には豊かさの保護であり、そして、夢や精神の保護である。
そして国家を守るとは、まずはそうして国民を守り得る国家を維持することであり、そして国の文化、伝統等を守ることであり、また、国際社会の単位としての国家を維持することだ。
僕の場合は、むろん、いわゆる国家主義的な概念ではない。
実は政治など関係なく自身のの人生観においても、「守護」という言葉ほど僕を惹き付け、また鞭打つ言葉は他にない。政治理念どころか、僕の全理念の土台を成す言葉だ。
それが他人であれ敵であれ僕を憎む者であれ、その困窮を僕が見逃すことは絶対にない、これまでもそれは常に僕の信条であり、破ったこともない。
そうであるから、政治を考えたとて、そうした信条が信念の一部を成すのは、ごく自然なこととなっている。
■修理固成
この言葉に出逢ったのは中学の頃だったか…
古事記に云う、
天つ神諸の命以ちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に「是の漂える国を修め理り固め成せ」と詔りて、天沼矛を賜ひて言依さし賜ひき、と。
修理固成とは、「修め理り(つくり)固め成す」という意味。
「修」とは(僕の名の一字でもあるが ^^)v、修理、修復という言葉に見られる意味、そして修飾という言葉に見られるような「かざる」という意味での、「おさめる」という意味を持つ。
こうした意味での「修め理り」、そして「固め成す」という言葉から、イメージは十分もってもらえるだろう。
それは、何か新しい国を建国するというものではない。
至らざるを足し、余れるを削り、落ち着かぬものを固めるということ、それは、基本的に今あるこの国をよりよくしていくというスタンスだ。
ことこうした意味では、僕は間違いなく革新派ではなく、保守に属するといえるのかもしれない。
が、個人的感覚の許容範囲としては、織田信長が(少なくとも生存中に)やってのけたレベルまでは、僕の中では修理固成の範疇に分類されているので、果たして実際どの程度まで僕が保守的であるかは面白いところではあるが。^^;)
ただし、フランスの共和国建国のような発想、第一共和国だの第何共和国だの、というアプローチを僕がとることはあり得ないだろう。
この漂える国を修め理り固め成せ…この「漂える国」とは、今日の日本をも言い指しているようでもあり、なんとも感慨深い。
修理固成、これは僕の日々胸にあてる言葉だ。
[政策理念の要素]
□「伝統」と「適応」
ひとつには、僕は原則的には「伝統」というものに敬意をはらう立場だ。
ここのところを詳述すると論文となってしまうので簡潔にまとめると、まずは、僕は国民というものを現在この時に生きている国民だけではなく、過去から未来にわたって考えているということがひとつ。
この意味で、ただたまたま今生きている人間たちの一時的な判断で大きな物事を改変することには警戒する。僕にとってこれは、過去の国民に対してのみの問題ではなく、場合によってはそれを受け取り損なう未来の国民に対しても感じるメンタリティだ。
ただ、これは改変を拒否するということではない。過去の父祖たちも、時々に物事を改善改変してきたのであって、何も、伝わっているものを闇雲に墨守しようというつもりは、僕にも全くない。ただ、慎重さと熟慮を欠かしたくないということだ。
もうひとつは、過去先人たちによって選ばれ、あるいは始められたことが、必ずしも今日の思想あるいは科学の理解の範疇を超えていないとは限らないということだ。
一般に、現代人は過去の時代の人々、まして古代の人々を、自分たちより「遅れた」人々と感じる傾向がある。それは、過去行われてきたことの安易な否定につながりがちだ。昔の迷信であるとか、古代の非科学といった具合にものごとを切り捨てることに躊躇はない。
僕は、ここにも慎重な懐疑をもっている。
ローマの哲学、数学、法学は依然として現代社会の基礎であるが、それらが研究されていたのはいつの時代だろう。孫子は今も世界中で読まれ学ばれているが、その書かれた時代はいつか。三国志演義や、我が国なら源氏物語に描かれた人間模様、心理描写は、いったいどれほど古い時代の人の手によるものか。
僕は、むしろ人間の能力は退化しているのではとすら思うことがある。まして、古人が現代人より愚かであったとは到底思えない。
現代では安易に科学的という言葉を用い、その科学で説明のつかないことを全て非科学的と切り捨てるが、たとえば漢方の治療効果について、近代医学はその一部しか説明できない。さらにそうした漢方医療体系は、今日の近代自然科学とは別の枠組みの中で構築されてきたものだ。その他の分野においても、古人が独自の科学手法、哲学、社会学手法を用いていたと、どうして言えないことがあるだろう。
たとえば当blogで扱ったことがある例を出すと、天皇の男系相続という習わしについても、科学、哲学、社会学のいずれであるかはわからないとしても、何らかの意味があった可能性をどう考えるのか、ということが僕の懸念するところだ(そのうちで僕はたまたま科学的に無意味ではない可能性を書いたが)。
男尊女卑ということなら現に女性天皇自体は許容されていることから説明がつかない。また単に家の相続ということなら、武家を見ればわかるように、日本人はさほど血脈にはこだわらない。
にも関わらず天皇継承における男系維持の志向を、何ら合理的意味をもたないものとどうして決めつけれるだろう。
実際の科学の歴史を見れば散見されるように、科学で説明がつかないということは、あくまでも「その時点の科学では」説明がつかないというに過ぎず、後になって見解が修正され、悲運に世を去った故人の名誉が回復されるなどという例は枚挙にいとまがない。これは自然科学だけに限ったことでもあるまい。
さてだから何でも維持するということではなく、それが重大な害を与えていないにも関わらず改変する必要があるのかという意味で慎重でありたいということだ。
いかな伝統とは言え、現に今日何らかの害をもたらすのであれば、改変すればよい。そうでないことについて、安易な姿勢はいかがなものかというのが僕のスタンスだ。
古人はあなどれない。写真に撮られると魂が奪われる、なんていう直観すらも、いつか何らかの科学的説明が与えられないとも限らない ^^;)
僕が伝統に敬意を払う意味のもう一点、それは、記憶の継承ということだ。
僕が僕であると、あなたがあなたであると、自分が自分であると認識するのは何をもってだろうか。それはとりもなおさず、「記憶の連続」による。一秒前、一分前、これを重ねて、過去の記憶があるが故に、記憶の連続として、人間は自己を認識する。
同じことは、民族や国家についてもいえる、そう僕は考えている。多くの伝統や伝統的意識、国民性等は、民族、国家におけるそうした「記憶」であろうと思う。
ちなみに、価値観面で本来伝統的なものとして僕が重視したいと思っているのは、公論の伝統、多様性の尊重、国と個人が対立ではなく協力するという社会意識、精神的豊かさを楽しむ風、道義感、そして教育の伝統などである。
次に「適応」について。
上述したように、「伝統」への敬意を持ちつつも、時代、状況への適応ということが当然考えられなければならない。修理固成ということも、土台には本体の保存ということがありつつ、改善ということを含んでいる。
歌舞伎であれ武術であれ、伝承者はそれを墨守するのみではない。それぞれの代において新規を取り入れ、工夫を加え、次代に伝えてきたものだ。
まして政治ということにおいて、ただ過去を守っていくのであれば、政治などというものは不要であるにも近づく。
そこで、適応改善ということが求められる。
例えば、今日、社会の再生ということがいわれるが、果たしてそれは昔日の「家族」の復活を目指すべきものだろうか。あるいはそうであったとして、それが可能だろうか。自民党のいう「伝統」による「家族」は復活し得るものだろうか、またそれが妥当だろうか。少なくとも「伝統」といって想起される家族とは、核家族化以前の家族だろう。そのようなものが再び生命を得るだろうか。どのような具体的方法を想定しているのだろう。
僕は、「第三の波」でトフラー氏が言うような、「エレクトロニクス大家族」のようなものに、新しい社会単位としての家族形態の可能性を見ているが、時代の状況、国民の価値観の変化にあわせて、「適応」ということを考えていかねばならない事柄もあるだろう。
僕の場合、この「伝統」からくる政策理念、そして「適応」からくる理念がそれぞれ存在し、個々の政策案につながるが、こうした「伝統」と「適応」のバランス、吻合に常時努めたいと思っている。
(後編記事に続く)
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