2004年12月30日

厭離穢土欣求浄土

musicデビルマンのうた

 大のTVっ子の僕としては非常に多忙なシーズンに突入している ^^)
 中でもバラエティ好きなので年末年始は本当に大変だ。番組予定で試聴分と裏録画を考え、生活や仕事、イベント、行動との整合をとっていくのだが、今年はケーブルもあるので、いっそう、きわめて精緻な計画が求められる。^^;)

 時代劇チャンネルは、年末年始特番の一環として、大河ドラマ「徳川家康」の一挙連日放送を現在行っている。毎日3話ずつという豪勢さ。

 この「徳川家康」は、なかなかの出来で、特に家康老齢期、大阪冬夏陣の頃は僕の場合泣くために見るといってよいほどの素晴らしさなのだが、そのあたりを楽しみに、今も見ているところだ。(今日はまだ桶狭間合戦のあたり)

 家康といえば、僕は「厭離穢土 欣求浄土」の旗差し物が好きだ。
 非常に共感をもっている。
 厭離穢土欣求浄土 : おんりえどごんぐじょうど


 厭離穢土・欣求浄土とは、そもそもは「往生要集」などにも見える言葉だし、仏教の言葉だが、端的には「穢土」、つまりこの穢れた醜い世を厭い離れ、「浄土」を欣い(ねがい)求めるという意味だろう。
 したがって、本来はかなり現実逃避的消極的な色合いも感じられがちな発想なのだが、僕は、積極的な意志としてこの言葉を愛している。おそらくは家康公とて同様だったはずだ。

 乱世、文字通り乱れた世、道義道徳の廃れた世にあって、その泥をかぶるのを構いもせずそこで戦い、ひたすら浄土を欣い求め、自ら招来しようとする意志。

 僕は、泥中に咲く蓮にも強く惹かれる。
 泥を避けてではなく、泥の中に美しく咲く姿に。
 (故に我が家でも睡蓮を植えているが、今年は結局咲かせることができなかった…来年こそ!そしていずれは蓮にも挑戦したい)

 もうひとついえば、(ややずれる感もあるが)子供の頃から、デビルマンが大好きだった。自分の信条の一部を示すものとして、(笑うだろうが)大学の頃にはまだ手帳の裏表紙にデビルマンのイラストを貼ってあった ^^;)

 僕が理想とする事を実現するためには、綺麗事の一切通じない世界に分け入っていかねばならない。泥を構わず泥の中に入っていかねば、デーモン族の中に分け入り、そこで勇者にならねば ^^;)
 その穢土ともおもえる中にあっても、それに染まってしまうのでなく、雌伏して密かに理想を燃やし続けなければ。
 その旗印のひとつになり得る、「厭離穢土欣求浄土」とは。

 歴史時代劇に家康本陣の旗印を見るたびに、なんとも言えない気持ちになる。


posted by Shu UETA at 02:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 武士道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も"泥の中で咲く蓮"というのに強く惹かれます。

実物の世界はキレイじゃないから、
その中で実際に力を持って、何事かを成すには、
「蓮」にならねばならないのだと思います。

浄水に育つワサビはピリッとしているけれど、
決してメインにはなれない。
世間はワサビの刺激に惑わされがちだが、
味はあるけど、力にはならないのがワサビ。
もちろん、メインを活かすためには、
よいワサビが必要なのですけれど。

でも、レンコンにはカラシなんですよね(笑)
意味不明になっちゃいました。スミマセン。
Posted by jk at 2004年12月30日 02:27
> jkさん

 いや…にワサビの例えも、実に暗喩的かもしれませんね…

 たとえば戦国大名たちにも、いずれも皆、師ともいえる仏僧などの存在がありますが、こうした高徳の僧といえば、俗世間で泥にまみれるのではなく、いわば清流に身を置いて人の倫を極めようとする道を選んだ人たちで、彼らをワサビとも例えれば、jkさんの話もなかなか実に… ^^)

 ちなみに僕はレンコンのバター焼きも割と好きです。^^;)
Posted by Shu at 2004年12月30日 02:40
徳川綱吉 イヌと呼ばれた男
http://www.fujitv.co.jp/tsunayoshi_inu/index2.html

 この番組は見られました?
 学校で教わった人物像とのギャップが大きかったのもあり、とても面白かったです。
 最近はこう言う歴史を考え直すような番組が増えてきたような気がします。
 学校で教わった歴史観のちっぽけなこと...。
 
Posted by 空楽 at 2004年12月30日 12:01
> 空楽さん

 はい、見ました!(もちろん裏番も録画しつつ ^^;)
 空楽さんからコメントいただけるとは光栄です ^^)

 演技的にはどうも草薙君は好みではないものの、それこそ「政道」というものについて考えさせられました。
 仰る通り、最近は、さまざまな視点、切り口で時代を描こうとする取り組みが多く見られますよね。その個々のものが、視聴者個々の考えと合致するとしないとを問わず、それについて考えるさせようとする姿勢だけでも価値があろうと思います。
 あるいは無意識の思想的束縛から自由になる第一歩としても。
Posted by Shu at 2004年12月30日 12:53
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。