2006年02月19日

「獅子座の女シャネル」


 読書ネタでもう一本。

 これもつい先頃読んだ本、「獅子座の女シャネル」、これで僕はすっかり彼女に恋してしまった。

 もう少し早く生まれて、ぜひお逢いしてみたかったと痛切に思う人物は、
昭和天皇の他に、この、ココ・シャネルことガブリエル・シャネルが二人めだ。
 その彼女がこの世を去ったのは、僕が一歳半ほどの頃だという。



 もっとも、なにせ高名なシャネル、僕も今日まで彼女について何も知らなかったというわけではもちろんないし、どのような分野であれ仮にも天才と評される人物には好感と関心の尽きない僕であるから、彼女の業績や才能についてひととおりのことは知っていた。
 が、才能と仕事についての興味を越えるものではなかった。(というより、それ以外を知らなかったし)
 あえていえば、シャネルといえばその本来ではないもののやはり香水も思い浮かぶ、そのシャネルといえば、やはりNo.5とNo.22、そのいずれもが僕の大好きな数字ということで、ひどく印象に残ってはいたけれど。
 (単に…これを日付とみれば僕の誕生日であり、新田義貞の鎌倉幕府討滅の日であり、スカイラインGT−R復活発表会の日であり…ということだけど ^^;)

 今回ふとした気まぐれからこの本を読んで、本当に僕は残念だった、ぜひ一度でも逢って話がしてみたかった。
 さらに欲をいえば、少しではなくずっと早く生まれて、彼女を口説いてみたかった。たとえ撃墜されたとしても ^^;)
 根拠のないことではあるが、、気が合う気がしてならないんだけど。

 僕は、傲慢な人に弱い。
 かしこくて傲慢だけれど上品で、それでいて弱いひとに、弱い。
 この本を読んでいると、なるほどシャネルは傲慢だし辛辣だけど、心がきわめて真摯で上品、そういったすべてが、かわいくてしかたがない。

 と、遠い故人に恋をしたなどと妄想めいたことばかりを主題にしてもしかたがない。^^;)

 言うまでもなく彼女はシャネル王国の創始者にして、「皆殺しの天使」と称されるとおり、当時までのファッションをすべて過去の遺物と化し、今日にいたるファンションの基礎のほぼ全てを生みだしたような人物だが、
 その彼女が本書で「モードについて」として話しているところは、僕には、それを政治的にみても実に印象深いものだった。

  たとえば、あたしは、自転車に乗ってくる若い女を見ている。ショルダーバッグを下げ、一方の手は、上下に運動するひざのところにつつましくおかれ、胸とおなかにぴったりとした布地の服を着ていて、それでも速度がますと、服のすそが風にまい上がる。この若い女は、自転車に乗るという必要性から、自分のモードをつくり出しているわけだ。ロビンソン・クルーソーが孤島で、たったひとりで、小屋をつくり上げたのと同じだ。状況にぴったりしたこの女(ひと)は美しく、あたしは称賛の目で見守りつづける。
 他にもっと品位のある女がくれば別のこと、この場合、これほど美しいひとはないと感激してしまう。彼女はそんなあたしを見て、いらいらし、転んでしまう。こっちもつられてひっくり返る。ももがあらわに出て美しい。この女(ひと)は怒る。これもいい。ぴったりだ。
 「いったいなにを見ていらっしゃいましたの!」
 「あたしが流行おくれでないことをもう一度確かめたくて、それであなたを見ておりましたのよ。マダム」
 なぜなら、モードというものは、その存在以前に、街にあっちこっち、ころがっているものなのだからだ。そのころがっているものを、あたしは、あたしなりの方法で説明し、引き出してゆく。そしてはじめて、モードは生まれるのだ。
 モードは風景のようなものであり、ひとつの精神状態であり、つまりは、あたし自身に属しているものなのである。



 より広く、示唆に富んで印象されたものも、ひとつ。
 彼女は飛行機を例にしているが、例えばF−1と自動車技術などを考えてもわかりやすい。

  技術は、できるかぎりの最善のものから出発しなければいけない。もしあたしが飛行機を建造するとしたらば、美しすぎる飛行機をまずつくってしまうだろう。次の段階でこそ、余分のものを切りすててゆくのだ。美しいものから出発して、シンプルで、実用的で安いものへと移ってゆくのだ。すばらしくよくできた一枚の衣装は、やがて既製服への基本となる。けれども既製服からは、すばらしい一枚の衣装は生まれてこない。街におりてゆきながら、モードは自然死をとげているというのは、こういう意味だし、ここに意義もある。

 既製服がモードを殺すということをしばしば耳にする。モードは殺されることを望んでいるのである。モードはそのためにこそあるのだ。
 安い値段の製品をつくるためには、高い製品をつくることからしか始まらない。そこに、縫製のしっかりした基礎がなければならない。まず高度のものでなければならないのだ。量は、倍増された質ではない。質と量は、本質的に違う。これさえわかれば、感じられれば、そして許されれば、パリはすくわれるのだ。



 また、身体術的立場からも、ほうっ…と思わされるコメントもあった。

  身体の動きは背中にある。つまり、背中からすべての動きが始まるというわけだ。



 とはいえ、冒頭に戻るようだが、今回僕は、今いくつか引用したような、例によっての思索の触媒的な内容よりも、ひとえにココ・シャネルというひとのキャラクタに魅せられてしまった。
 はあ…なぜ違う時代に。縁がないというのは淋しいな。
 もはや、友達にさえなれない。


 「獅子座の女シャネル
posted by Shu UETA at 22:30| Comment(2) | TrackBack(1) | 読書他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ご無沙汰しております。引用された文章が大変興味深く、この本、一度手に取ってみようと思います!ご紹介ありがとうございます!
Posted by yt at 2006年02月23日 01:07
> ytさん

 おお、やはりytさんも、なにかピンとくるところがありますか。

 全体にわたってこのような話ばかりというわけではありませんが、
 ytさんも、わりと僕同様、自分の本来のフィールド以外のところ、あるいはそれが遊びや俗なことであっても、そこからなにかとさまざまな示唆を汲み取るタイプだと思うので、
 もし機会でもあれば気軽な読み物としてさらさらっとめくってみれば何か面白いことが見つかるかもしれませんね。 ^^)
Posted by Shu at 2006年02月23日 19:27
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ポール・モラン / [本]獅子座の女シャネル (単行本)
Excerpt: 永遠に生きるシャネル・モード、芸術家たちとの交流、パリ征服などが、創造に賭けたひとりの女の孤独な生きざまの中に語られる。
Weblog: 【シャネル】ショーウインドウ
Tracked: 2006-09-20 15:30
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