2004年12月16日

(読書) 「天使と悪魔」

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 以前、「ダ・ヴィンチ・コード」を紹介したことがあったが、「天使と悪魔」は、作者 Dan Brown の処女作、つまり「ダ・ヴィンチ・コード」の前作になる。
 ちょうど僕もこの順番、つまり逆に読んだことになる。^^;)

 第二作同様、この第一作も面白い。お薦めできる。


 やはり同じく宗教象徴学者のラングドンが主人公。
 そして、「ダ・ヴィンチ・コード」において「聖杯伝説」がテーマであったと同様、本作においても、「ムー」的素養を持つ人には ^^;) 既にたまらないキーワード、テーマが登場する。「イルミナティ」である。
 この言葉でピンとくる人は、おそらく現実世界のこと以外の面でも僕と話すことがたくさんあるだろう。^^;)

 イルミナティとは、過去、それも長年月にわたり現実に存在した秘密結社であり、ガリレオ・ガリレイをはじめとする科学者たちが反キリスト教会を標榜して結成し、後にはフリーメイソンと一体化した組織だ。ローマ教会から、「サタン」と断じられた組織である。
 数十年前に組織は崩壊したというのが定説だが…と、これを話しだすと大いに脱線するので、本に戻ろう。^^)

 さて僕の個人的感想では、サスペンスとしての面白さでは、第二作つまり「ダ・ヴィンチ・コード」の方が面白いと思う。
 しかし、単なるサスペンスとしてだけではなく、さまざまに哲学的なことを考えさせられるという楽しみでは、こちら、「天使と悪魔」の方が面白い。

 「ダ・ヴィンチ・コード」と併せ、ぜひお薦めである。

  (上巻扉より)
 ハーヴァード大の図像学者ラングドンはスイスの科学研究所長から電話を受け、ある紋章についての説明を求められる。紋章は秘密結社<イルミナティ>---十七世紀にガリレオが創設した科学者たちの結社---のもので、この世にはもう存在しないはずの伝説の紋章だった。それが男の全裸死体の胸に焼印として押されていたのだという。殺された男は、最近極秘のうちに世界初の大量反物質の生成に成功した科学者。反物質は核の数十倍のエネルギーをもつが、すでに殺人者に盗まれ、窃かにヴァチカンに持ち込まれたという…。

 (下巻扉より)
 おりしも、ヴァチカンでは新ローマ教皇選挙会の当日。だが、時期教皇候補四人が揃って失踪していた。そこへ<イルミナティ>を名のる人物から電話がかかる。かつて科学者を迫害した教会に復讐するため、教皇候補を、一時間に一人ずつ殺して死体をさらしていくというのだ。死体をさらす四つの場所とはどこなのか。反物質はヴァチカンのどこにあるのか。その鍵が十七世紀に書かれた詩に隠されていることに気付いたラングドンは、知力と体力の限りを尽くして、姿なき敵が仕掛けた殺人ゲームに挑む!



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 「天使と悪魔」(上)
 「天使と悪魔」(下)

 本書「天使と悪魔」で、特に印象的だった部分を少し引用しておきたい。
 これから読む人のため、誰が、どのような状況で話した内容かは伏せておく。^^)

  イルミナティの諸君、そして、科学者の諸君。ひとこと言わせてもらいたい。あなたがたは戦いに勝ったのです。
 はるか以前から、歯車は動きはじめていたのです。
 あなたがたの勝利は避けられないものになっていました。いまほど、それが明らかになったことはありません。科学こそが新たな神なのです。

 医療、電子通信、宇宙旅行、遺伝子操作…いまやこういった奇跡こそ、子供たちに語り聞かせられています。こういった奇跡こそ、科学が答をもたらしてくれる証拠として歓迎されています。無原罪の御宿りだの、燃える柴だの、割れる紅海だのといった大昔の物語には、もはや力がありません。神はすたれました。科学が勝利したのです。わたくしたちは敗北を認めます。

 けれども科学の勝利は、わたくしたちひとりひとりに犠牲を強いました。それも、非常に大きな犠牲です。

 たしかに、科学は病気や苦役による悲惨さを軽減し、娯楽や利便のためのたくさんの道具を与えてくれたかもしれない。しかし、科学は感嘆すべきもののない世界にわたくしたちを置き去りにしました。夕日はただの波長と周波数に成り果てました。宇宙の複雑さは切り刻まれ、方程式の集合と化しています。人間としての自尊心さえもが、いまや重んじられていません。科学は、われらが地球も、そこに暮らす生きとし生けるものも、遠大な仕組みのなかの無意味なしみにすぎないと公言しています。単なる宇宙の偶然だというのです。

 わたくしたちを結びつけるはずのテクノロジーでさえ、逆に分断しています。だれもが電子的に世界とつながっているにもかかわらず、強い孤立感を覚えています。そして、暴力、差別、断絶、裏切りといったものに苛まされているのです。懐疑主義が美徳となり、シニシズムや厳格な証拠主義がひとつの見識とされるようになりました。歴史において、人間がいまほど抑圧され、萎縮していた時代がないことには、疑問の余地がありません。科学には、畏敬すべき点が少しでもあるでしょうか。科学は、生まれてもいない胎児を調べて答を導き出そうとする。遺伝子さえも組み換えようとする。意味を探求するあまり、神の世界をどんどん細かく切り刻み…あげくの果てに、見つかるのはさらなる疑問ばかりなのです。

 科学と宗教との古来の戦いは終わりを告げました。
 あなたがたの勝利です。ただし、あなたがたは正々堂々と戦ったのではない。答を示して勝ったわけではないのです。人間社会を急激に別の方向へ差し向けることで勝利し、そのために、わたくしたちが指針としてきた数々の真実を骨抜きにしてしまいました。宗教は追いつくことができません。科学の進歩はすさまじい勢いです。ウィルスのように増殖しています。ひとつの新しい発見が、かならず複数の新しい発見につながるようです。人類が車輪を自動車へ進化させるのには何千年もかかりました。ところが、自動車から宇宙船への進化はほんの数十年の出来事です。いまや、週単位で進化をとげていると言っていい。もはや抑えが効かなくなって、きりきり舞いです。亀裂がますます深まり、宗教が取り残されるにつれ、人々は虚無感に襲われます。わたくしたちは意味を求めて叫んでいます。そう、ほんとうに叫んでいるのです。UFOの目撃、チャネリング、霊との交信、肉体離脱体験、精神世界の探求---この手の奇矯な概念は、見かけは科学的に装ってはいますが、実体はあまりにも不合理です。それらは、孤独と苦痛に苛まされた現代人の魂の叫びなのです。現代人は自らの知恵に溺れ、テクノロジーから切り離されたものに意味を見いだす能力を失って浮き足立っているのでしょう。

 科学は人間を救う、とあなたがたは言う。しかしわたくしに言わせれば、科学は人間を破滅させてきたのですよ。ガリレオの時代から、教会は科学の飽くなき行軍を減速させようとつとめてきました。ときには誤った方法もとりましたが、つねに善意をもって臨みました。それでも、誘惑はあまりに大きく、人はそれに抵抗することができない。まわりをご覧なさい。科学が約束したことはまったく守られていない。効率化と簡素化は、汚染と混沌を生み出したにすぎません。わたくしたち人間は、分裂と混乱のただなかにある種であり…破滅への道を突き進んでいるのです。

 科学とは、どんな神なのでしょうか。民に力だけを与え、その使い方に関する倫理の枠組みを示さないというのは、どんな神でしょうか。子供に火を与えるだけで、それが危険だと注意してやらない神とは、いったい何者ですか。科学の言語には善悪を判断する指針がありません。科学の教科書には核反応を起こす方法は書かれていますが、その善悪を問う章はないのです。

 科学に対して言いたい。教会は疲れました。あたながたの指針であろうとすることに疲れ果てました。あなたがたが小さな賭け金で大きな利益を得ようとやみくもに進むあいだ、不偏の道を貫こうと活動しつづけたわたくしたちの資源は底を突きかけています。どうして自己抑制しないのかとこちらから問うことはありません。しかし、なぜそちらはみずからに対して問わずにいられるのですか。あなたがたの世界はあまりに目まぐるしく変化し、自分がしたことの意味を考えようと一瞬でも立ち止まれば、わけもわからないうちにもっと要領のよいだれかに追い越されてしまう。だからあなたがたは進みつづける。あなたがたは大量破壊兵器を量産しますが、世界中を飛びまわって指導者たちに抑制を求めるのは教皇です。あなたがたはクローン生物を創り出しますが、人々におのれの行動の倫理的な意味を考えるよう釘を刺すのは教会です。あなたがたは電話やビデオ画面やコンピューターによる対話を勧めますが、人々に門戸を開き、直接会って親しく語り合うという本来あるべき姿を思い出させるのは教会です。あなたがたは人命を救うための研究と称して、胎児を殺すことまでやってのけます。そのような理屈の誤りを指摘するのも、やはり教会なのです。

 そして、あなたがたは一貫して、教会が無知だと言い張ってきた。しかし、ほんとうに無知なのはだれですか。稲妻の性質を説明できない者と、稲妻の恐ろしい威力に敬意を払わない者のどちらでしょうか。教会はあなたがたと心をかよわせようと努力しています。ひとりひとりへ手を差し出しているのです。ところが、こちらが手を伸ばせば伸ばすほど、いっそうあなたがたはそれを払いのけようとする。神が存在する証拠を見せろと言う。しかし、望遠鏡をのぞいて天国に心を向けてごらんなさい。どうすれば神が存在しないなどと思えるのか教えてもらいたい!

 神はどんな姿なのかとあなたがたは問う。どこからそんな質問が出てくるのかとわたくしは尋ねたい。答はひとつ、いつも同じです。あなたがたは科学のなかに神のお姿が見えないのですか?どうすれば見逃せるのです!重力の強さや原子の重さがわずかにちがっていただけで、宇宙がこういう壮大な天体の海ではなく生命のない霧になっていたはずだと断言しながら、それでもなお、神の力を見いだせずにいるのですか?億兆のトランプの山から偶然にも正しい一枚を選んだだけだと信じるほうがたやすいなどと、本気で思っているのですか?数学的に不可能なことを信じるほうが、自分たちにまさる偉大な力の存在を認めるよりましだと考えるほど、人間の精神は破綻をきたしているのですか?

 神の存在を信じていようといまいと、これだけは信じなくてはなりません。種としての人類が自分たちより偉大な力への信頼を放棄するときは、おのれの行為への責任感をも放棄するのです。信仰とは…あらゆる信仰とは…この世には人間の理解を超えた偉大な存在があり、わたくしたちはその存在に対して責任を負っているという戒めなのです。信仰を持つことで、わたくしたちは互いに対しても、自分自身に対しても、より高位の真理に対しても責任を負うのです。宗教には欠点がありますが、それは人間に欠点があるからです。もし外にいる人たちがわたくしと同じ目でこの教会を見ることができれば…厳重な壁の内側へ視線を向けさえすれば…現代の奇跡を目にすることでしょう…収拾がつかずに混乱している世の中で、ただ思いやりの心の代弁者になりたいと願っている不完全で単純な同胞たちがここに集っているという奇跡を。



 さて、そういえば…「ダ・ヴィンチ・コード」が映画化されるそうだ。主人公ラングドンは、トム・ハンクスとのこと。個人的には、イメージと合わない気もするが…さてどんな映画に仕上がるのか、楽しみではある。^^)
posted by Shu UETA at 17:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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