2009年10月22日

戦略と戦術の好い関係


 先日、糸井重里氏とバラエティ演出家の加地倫三氏の対談を読んでいて、戦略と戦術の好い関係というものを思い出した。

 加地氏は「ロンドンハーツ」や「アメトーク!」の総合演出を担当しているそうだが、
 企画の時点での多少の不出来に対して、芸人(出演者)は最後に点数を加えることができる、と氏は言う。

 これは、僕のフィールドの言葉に言い換えるならば、
 戦術は戦略に点を足すことができる、ということだ。

 実に思うところ共感するところしきり。




 件の対談には、こうある。

加地
 60点の企画でもやらなければならない場合が出てくるんです。

糸井
 はい、はい。

加地
 そういう60点の企画をロンブーの(田村)淳にプレゼンしたら、さすがに「むーん」。

糸井
 ははは、そうだよね。

加地
 「でも、いまこれをやんなきゃいけない。60点だけど、これを80点にしてよ」と言って、やってもらったりしました。

糸井
 芸人さんたちは、肉体の表現で最後に点数を足せるんですね。

加地
 足せます。雨上がり決死隊にも「今日の企画は80点だから100点にしてね」と言ったことがあります。



 両氏の対談はもちろんのこと、戦略だの戦術だのという概念のうえで語られているものではないが、さすが生きた現場で実績をあげている人物だけに、自然にそうしたものに通底する知見が語られている。
 そもそも戦略/戦術というものは、およそ人間の活動全般に敷衍し得るもの、より正確に言うならばあるいは、歴史上あらゆる人間活動の中から精錬されて出来てきたものだ。

 僕の見るところ、戦略と戦術にはそれぞれにブームがあるようだ。
 日本では永く戦術ブームの時期が続いたように思える。これは文字通りの戦争のみならず、ビジネスであれスポーツにおいてであれ。
 ふと気づくと、昨今は戦略ブームに見える。ブームという場合には、裏返せば相対的には戦術軽視ともいえる。
 戦争でピンとこない人も、スポーツが好きならプロスポーツの世界において考えれば首肯してくれる人も多いのではないか。あるいはビジネス書の類でも。

 専門的見地から言えば、戦略軽視と戦術軽視では前者の方が害が大きい。
 だがそれは二者択一という既に不合理な選択においてのことであり、現実問題としては、いずれが軽視されても良かろうはずはない。

 「戦略の失敗は戦術では補えない」という誰もが知る警句は、あるいは戦術ブームにおける戒めの言として広く流通したのかもしれない。

 であれば、戦略ブームの時代には、「戦術の成功は戦略を補い得る」という視点も有意義かもしれない。

 もっとも、それを端的に言ってしまえばそれはやはり悪影響のおそれの感はある。

 僕のスタンスとしては、

 戦いは、戦略のレベルにおいて既に勝っているものであるべき、戦術はその具体的段階を踏むのみで済むように戦略が整えられているべき。
 しかし戦略の完整は常に可能ではない(むしろ不可能であるのが普通)。戦略の埋め切れない部分をカバーし得るだけの戦術的精強さを平素涵養し、またその指揮官・部隊を選択して作戦に投入するのも、戦略の重要な構成要素である。
 そのためにも、指揮官ならびに部隊の戦術的気性は磨き立てておくべきで、決して鈍らせてはならない。

 ということになる。

 戦略担当者は完璧な戦略を目指す。
 それが叶わぬときには、申し訳なしと頭を下げる思いで戦術指揮官を送り出す。

 戦術指揮官は、戦略計画を達成すべく与えられた目標を、石にかじりついてでも遂行する。
 戦略の不十分に頭を垂れる司令部員に対しては、これを意気に感じて、あるいは戦術家冥利に尽きると意気軒昂して戦術で状況を打開挽回する。

 戦略は縁の下、名誉は戦術に与えるを常とする。

 これが戦略と戦術の好い関係だ。

 演出家と出演者にだってあてはまる。
 加地氏は優れた戦略担当者であり、ロンドンブーツや雨上がり決死隊は卓越した戦術遣いだ。
 「申し訳ない、60点の企画をなんとか80点まで持っていってほしい」と言われれば、彼らも意気に感じようし、まさに芸人冥利にも尽きるだろう。
 そこで火がつくことのできる芸人魂は、戦闘においてあるべき戦術家魂に限りなく近いだろう。
 そして、番組の面白さを演出家が自慢することはない。その名声名誉は芸人に与えられる。

 監督と選手の間でも同じだ。


 こうした、好い関係を、組織はもっと大切にしていかなければならないと思う。


 巷に散見される危うい例は、

 戦略担当者が実働指揮官・部隊(戦術担当者)に敬意を抱かず、軽視している。

 事業(作戦)の成功の殊勲を戦略担当者が我が物顔で、戦術担当者に名誉を与えない。

 戦略(のカッコよさに酔う…は言い過ぎとしても)を重んじるあまり、組織の戦術能力を軽視し、十分にそれを育成、精強化していない。

 上述のようなことと相まって、組織に戦術的気性(敢闘精神・戦技研鑽意欲)が乏しい。

 など。

 こうした組織は、危うい。

 一般に、一代目というものは戦略的立場になっても、戦術的気性に富んでいる。
 二代目、三代目にいたって失われがちであるものの中には、あるいはそうしたものもあろうかと思う。
 企業であれ、幕府や明治政府であれ。



 トップスタッフになるならば、戦略家でなければならない。ただし戦術の切れ味と辛苦に敬意を忘れてはならないし、華やかな名誉よりも、玄人受け、縁の下の力持ちに美学を感じる人がいい。そうでない戦略家は学者になるのがいい。

 実働と現場に昂揚し、任務遂行の達成感を知り、不利を打開する戦術運用に美学を感じる人は、戦術家がいい。戦術能力と戦技に磨きをかけることを日々怠ってはならない。
 しかしより優れた戦術指揮官であるためには、戦略眼を持たねばならない。

 トップに立つならば、戦術家の気性を持った戦略家か、戦略家の頭脳を持った戦術家がいい。



 僕自身は、徹頭徹尾 戦術肌だ。
 「わかった。後は何とかしてやるっ。」って言う状況が大好きでたまらない。

 いま口を糊している仕事も、自身の戦術能力に絶大の自負をもって、戦略環境の挽回を楽しんでいる。^^)v

 もっとも…
 そうした性である故にこそ戦略を研鑽しているともいえる。^^;)


posted by Shu UETA at 01:57| Comment(0) | 戦略戦術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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