2004年12月06日

武術の意義

 先日友人と話していて、ハッとさせられた。
 何かの話から、彼も何かスポーツでもというところから、ふと武術も一瞬話題に上ったところ…
 そう武術などを真剣にやらずとも、まあ、街で数人に囲まれても大丈夫なくらいで十分だ、という話、
 そして、中でも剣術などは、剣がなければあまり実用性がない、と。

 実に、ハッとさせられた。


 その話の何に対してかというと、

 そうか…やはり武術に対する一般的な認識とは、そういうものなんだなあ、ということ、そして、思えば自分も昔はそうだったなあ、ということ。
 それがひとつ。

 もうひとつは、そういう戦闘的な意味での「強さ」というものは、正しく武術の本来の目的であるということ、そして、自分の中で最近そうした意識が薄くなってしまっていたなあ、ということ。
 これは、反省として。

 僕にとっての武術の意義のひとつは、身体感覚と身体操作の質を高めること。
 武術ほど、この目的に適したものはない。

 そして僕は、身体性ということは、その人の思考や発想、感性、そして性格にまで影響するものだと考えている。
 自分とは「身体」だ、という感覚が、かなり昔からの直感のようなものとしてあった。
 そういうと、人間というものをきわめてフィジカルにとらえるもの、身体という物理的な存在としてしかとらえないような印象を与えるが、そういう感覚ではない。実際、僕は何か魂というかspirit的な「自分」の存在を信じているほうだし、身体は、この世における乗り物のようなものだとも思っている。

 一方で、そうした魂的なレベルでの「自分」というものも、「自分」という明確なものがひとつあるのではなく、僕の感覚では、全身の細胞の数だけ(原始的なレベルであれ)「意識」というものがあって、その億の意識の集合意識が「自分」ではないかと、ぼんやり感じている。
 (ここでは余談だが、さらにそうした「自分」がさらに集合して、より大きな集合意識を形成しているような気がしている。つまり僕という「自分」はマクロとミクロの中間意識のようなものなのだ。いずれこっちの話もまた書いてみたい)

 さてそこでもう一度くり返すと、
 僕は、身体性ということは、その人の思考や発想、感性、そして性格にまで影響するものだと考えている。

 身体性とは、身体をどのように使っているか、使いこなしているかということだが、例えば、「歩く」ということひとつとっても、どう身体をつかって歩いているか、その合理性の次第によって、人が受ける影響は大きい。経験から言うと、歩き方を変えるだけで、性格は影響を受ける。

 身体操作の合理性を追求して、それを「術」のレベルにまで高めようというのが、武術の目指すところである。
 その基本は、ただ「立つ」、ただ「歩く」という次元ですでに深い術理を求め得るもので、現に、数年心を凝らしても、この「立つ」「歩く」さえ、完成させるということがなかなか難しい。
 まして腕で何かを行う、さらには道具を使うということになると、その身体操作の質ということの奥深さといえば、文字通り底が知れない。

 そして、人の身体操作性は、その人のものの考え方や感性、性格に大きな影響を与えていると思う。このことは、武術に限らずこうした身体感覚を追求している人なら、自分自身をもって日々感じていることだと思う。
 僕の経験では、「歩き方」や「背骨」「股関節」「肩胛骨」の使い方というのは如実に気分や性格、発想力に大きな影響を与えることが、稽古の進展の中で実感できる。

 ただ「歩く」ということの奥深さ、まして剣という他者を扱うということにおける身体操作の奥深さは、底が知れず、日々新しい発見と自覚、試行と錯誤、飽きるということがない(この点は良き趣味に必要な要件を満たしてもいる ^^)
 ただ木刀を振り上げ、振り下ろすという単純な動きの中に、何百という身体感覚がある。それらを感知すること、そして操作すること、それが武術における身体探求である。

 武術というのは、それが「術」という通り、一般的なスポーツや剣道柔道と違って、筋力や鍛練によるパワーやスピードではなく、身体操作の質そのものを変換、シフトすることによって、次元の異なる動きを身につけることを目指す。それが「術」である。
 そうした「術」を身につけた身体は、戦いの場に限らず、平素日常の身体操作においても、質の異なる動きをすることになる。
 そしてそれは、その人の思考、発想、性格にも大きな影響を与える。

 実際にはもっと精緻な世界だが、敢えてわかりやすい話をすると、たとえば、首、肩から肩胛骨周りが固い人に、柔軟な発想をするタイプの人はいない(あるいは少ない)、そして重要なのは、その人が肩胛骨を柔らかく使う「コツ」、身体操作を身につけたなら、発想の柔軟性が出てくるという不思議である。僕の経験では、視野の広さということも肩胛骨で随分変わる(あと背骨か)。これは抽象的な思考における視野の広さだけでなく、実際のスポーツ等におけるフィールドでの視野の広さなども含めて(これは自分で鮮やかに体感できる)。

 人間というシステムは、一般に想像されている以上に、複雑なシステムなのだと思う。そして、これは僕の直観の域を出ないが、人間とは、自分が思っている以上に、全身で感じ、考えているのではないだろうか。

 武術もしくはこうした身体操作を磨く何かを少しでもかじって、どんなに小さくてもこうした実感を得た人は、もはやその魅力から逃れられなくなると思う。僕は正にそのクチだ。当初そうした思い入れで始めたわけではなかったのだが…^ ^;)
 以後は、何年経とうが、日々、そうしたことの連続である。これほど楽しいことはない。

 余談だが…幕末動乱の綺羅星のごとき歴史人物たちは、多く何らかの武術を修め、しかもそれなりの人物には流派の皆伝まで達していた人物が多いが、そうした人物たちがあの混迷の時代を担当したことは、日本にとって実に幸いであったのではないかとも思う。
 彼らの発想や思考は、必ず武術鍛練における高度な身体操作能力と不可分であったろうと思うからだ。
 実際に剣を執っての戦闘をくぐり抜けた者たちもいる一方で、実際にはその高い腕前を実地には運用しなかった大物は多い。


 一方で、冒頭述べたように、「強さ」という武術そもそもの目的意識が最近希薄になっていたような気がして、強く反省もさせられた。^^)

 身体操作を磨くアプローチは今日さまざまなものがある(僕も興味をもっているものがたくさんある、いずれ紹介)が、こと武術の利点とは、武術というものが、「勝負に勝つ」という絶対の基準をもっていることだろう。そうした基準がある故に、その基準に照らしてどうであるかということを検証できるわけであって、合理性追求の明確な拠り所を持つことができるからだ。

 しかし一方で、非常に逆説的と言おうか、不思議なことに、武術というものは稽古を重ねるほどに、実際の戦い、それが喧嘩のようなものであっても、それを忌避する心が生まれてくる。
 武術は危機管理技法の一種とも言えるが、そうした感覚が養われることによるものか、あるいは戦いの深奥を多少なりとも覗いてしまうためか、相手が誰であれ、必勝ということを思うことができない。相手が街のチンピラに過ぎなくとも、彼ら相手に、必勝ということはない。むしろ、そもそもの対立、紛争を避けるべく心が働くようになる。
 機先を制す、ということでは、まさにそうした種類のものこそが理想と思えるようになってくる。

 ともあれ、
 剣であれ柔であれ、身体感覚、身体操作を磨く、開発するという意味で、武術は素晴らしい方法だと思う。
 しかし万人にとって敷居が低いとは言い難い。武術を例にはしたが、それぞれに合った方法で、自分の身体と対話する、身体操作を磨くというような何かを行うことは、現代人にとって非常に有意義であろうと思う。


posted by Shu UETA at 23:56| Comment(6) | TrackBack(4) | 武術/身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私もちょっとばかし武術をかじったことがあり、
そこから様々なことを学びました。
それは、やっぱりShuさんのおっしゃるように
精神面での影響が大きく、実際に体を動かす
ということを遙かに超えたものだと思います。

さて、私の場合なのですが、
私は「刀と鞘」の一言に尽きます。
常には「鞘」をもって刃を収め、
和をもってすべてに対する。
刻が来たら、己自身によく問い、
己自身の望むあり方によく照らし、
本当に抜くべき時に、抜く。

と、まあ、そんなふうに
心がけてはいるのですが、
まだまだなかなか。。。
自分の未熟さに腹が立つこともしばしばです。
Posted by spice boy at 2004年12月07日 03:13
なるほどと体感できるところが多いコラムでした。
shuさんの文章の地に足がついた感覚は、武術で得た身体感覚から来ているのかもしれません。

空楽さんというひとのコラムも同様の感覚でよくお邪魔していますが、現実生活で日々戦っている人の言葉には説得力があります。体感がベースになっているんで右脳が反応するんですね。

いわゆる知識と屁理屈だけの”ネットウヨク”と違う、あなたのように地に足がついた良質な意見を今後も期待しています。
Posted by 太陽に集いしもの at 2004年12月07日 10:18
前回のコメントから、
いろいろと考え込んでいます。
末端の運動神経と大脳皮質のシナプスには、明確な相関関係があります。
身体を動かすということで神経系への刺激となって
認知領域が充実する、というのはよく知られていることです。
リハビリテーションとかでも応用されていますよね。
そういった現象は、精神面への影響も大きい。


うーん、、、まとまらない。
もう少し考えさせていただきます。
Posted by spice boy at 2004年12月07日 18:16
> spice boyさん

 びっくりしました。
 「刀と鞘」という自戒は、僕自身が心中に期してきたことと全く同じです。やはり何か波長というものがあるのでしょうか。^^)

 刀は持ってなきゃならない
 だけど抜き身で持ち歩く人は狂人だ
 刀身は日々手入れを怠らず
 鞘の中に保持して
 そう簡単には抜くまい

 これも未発表「words」のひとつなのですが、^^;)
 spice boyさんと、本当にぴったり共感できるものではないでしょうか。嬉しい一致です。^^)

 さて、続くもう一方のコメントでいただいた話題ですが、確かに、そうした医学的視点でも非常に考えさせられますね…
> いろいろ考え込んでいます
 本業の支障とさせてしまっていないか不安ですが ^^;)、spice boyさんの将来の進路を考えると、こうしたことに興味をもってもらえることは、とても楽しみです。
 末永く、いろいろ感覚、意見を交換していけたらと思います。^^)
Posted by Shu at 2004年12月07日 21:15
> 太陽に集いしもの さん

 過分なお言葉をいただき、恐縮汗顔です ^^;)

 恥ずかしながら今さら初めて、blog「太陽に集いしもの」を先ほど拝見し、非常に感銘を受けました。感銘、さらには、さまざまに思考の触媒となることが多く、自分の思考が拡がる心地がします。
 まだトップページ掲載分しか読ませていただいておりませんが、今後は頻々とお邪魔させていただこうと思います。
 拝見していると、私の書いているものなどは非常に幼稚なものと感じられて恥ずかしいですが、今後も、お見守り、ご批判などいただければ幸いです。

 本来ここでコメントするべきでもないのでしょうが、そちらの記事文中に拝見した「剣の極意」について、実に同感です。
 私はたまたま居合を表芸として稽古していますが、居合の目指す境地こそは、抜かずに場を制圧すること、もしくは争いそのものを惹起しないこと、であり、そして居合は剣の精髄とされ、剣術は日本武術の精髄であるとされています。
 合気道にも「対すれば合い和す」といいますが、記事中に仰られていた「本来の日本的"和"の境地」ということにも共感せずにはいられません。

 長くなりました ^^;)
 今後はそちらにもお邪魔して、愚見などをコメントさせていただきたいと思います。

(ps 空楽さんのblogは私も度々拝見させていただいています ^^)
Posted by Shu UETA at 2004年12月07日 21:32
> ALL

 上記の通りコメントをいただいている「太陽に集いしもの」さんのblogは、投稿者名リンクを押しても当該blogが表示されませんが、アドレスは、こちらです。
 http://red.ap.teacup.com/sunvister/

 なお、僕のこのblogのトップページ右側のリンクからも行けます。

 興味のある方は、ぜひご覧になってみてください。
 いろいろと考えさせられます。^^)
Posted by Shu at 2004年12月07日 21:40
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