2006年01月22日

米牛肉再禁輸


 表題について、かねての解禁議論の折には記事などをものしそびれていたが、今回の再禁輸措置に触れて、基本的なセンで個人的に見解とするところを少し書いておこうと思う。

 今回の件を知らぬ人はいないだろうと思うが、一例記事をひいておくと(一じゃないけど ^^;)例えばこんな具合。

 解禁早々、不安現実に 米産牛肉再び禁輸(朝日、google cache)
 米農務長官「検査官、除去義務認識せず」・危険部位混入(日経、google cache)
 検査官ら除去義務認識せず 米農務長官、牛肉輸出の不備認める(産経)
 米検査官ルール知らず 専門家ら「信じられない…」 BSE危険部位混入(産経)

 僕の見解は概ね次の諸点
 1 今回のような出来事は十分予測された
 2 速やかな再禁輸にいたる経緯手順は上出来
 3 今後も注意は必要
  (1)検査体制 (2)合意基準内での安全性
 4 政府には毅然さが必要
  (1)国内業者及び世論に対して (2)米国に対して
 5 対立止揚のためには日米を問わぬ国民保護精神を前提に




■今回のような事態の出来することを予見するのはそう困難なことではなかったろうと思う。(ただ、かくも早い時期に、ということには多少驚かされたが ^^;)

 米国の検査体制の不備、そして業者、検査官たちの間での食肉安全に関する意識の低さ、つまり実感の欠落ということは、かねて文字通り目に見えていたことであり、遅かれ早かれ検査漏れが続々発見されるのは間違いなかったろうと思う。

 もっともこの点をもって政府を批判するつもりはない。
 こうした二国間(しかも先進国同士)の協議と合意について、その履行がそれぞれの国の責任において為されるものであって、それを相互に信頼するという前提にある以上、今回野党が大喜びで矢を向けているような政府批判を(この点においては)僕はするつもりはない。
 (合意に達した輸入基準自体の甘さということについては僕は政府を支持していないが)

■しかし、今回の速やかな再禁輸措置は、上出来、素晴らしいと思う。また、かくも早期に事が起こったのは結果的には幸運であったろうと僕は思っている。

 今回の出来事とその速やかな対応には、次の点で満足できる。

 ひとつには日本側での水際検査態勢が適切に機能していることが示された。(もっとも、目視で明らかにそれとわかるようなレベルのものではあるものの)

 またひとつには、今後仮に再開されたとしても、国内での検査には真剣味が加わる。(不信から)

 そしてひとつには、今回の件は米国側が当初から実に殊勝な態度に出ているとおり、協議においてせっかく折れた日本に対しても、またそれを実現した米交渉担当部署に対しても、米国自身が信頼を裏切ったものであり、日本政府は米国に毅然と対しやすい。故に政府も速やかな再禁輸を決断できたろう。

 あるいはひとつには、いずれにせよもとより未だ怪しい検査基準であり、基準クリアの有無を問わずしばらくの間にせよそうした食品が国内に入らないことは、当面の間のこととはいえ平穏材料だ。

■しかし、今後とも引き続き注意は必要だろうと思う。

 一点は、米の検査体制の危機管理上の不備についてだ。
 これは、主としてはヒューマンエラーを引き起こしやすい体制、環境ということが大きいだろうと思う。
 出荷や検査の現場における日米両国消費食肉の混在ということもかねて指摘されてきているところであるし、また、このように日本向けと、国内を含むそれ以外という別基準の存在は、結果的に業者や検査官の真剣味というものを低下させがちだ。(それも人情)

 もう一点は、今回の問題は、合意した基準が守られていなかったということだが、実際には、あの基準が守られていれば安全ということが必ずしも言えるわけではないという点だ。
 日本としてはこれも言わば「政治的判断」として合意に踏み切ったものの、専門家の間でもこの基準の安全性が疑問視されてきたことは周知のとおり。
 喉元過ぎれば何とやらではなく、いったんの政治的合意は合意として、今後も引き続き安全に関する科学的調査研究が維持されるべきであるし、あらたな知見によっては、随時基準を見直す必要がある。

 心理学的戦術によくあるような論点のすり替えということが、今回の件で起こらないよう願いたい。
 今回の米の不手際がクリアされるということと、そもそもの基準の安全性というのは別の問題だ。今回の失態につながるような体制が改善され、やがて再び解禁されたとしても、それで安易に完全決着とするにはまだ科学的知見が不足している。これは政府及びマスコミに重々認識しておいてもらいたいと思う。

■いずれにせよ、政府は毅然とした態度をもつべきだと思う。

 一方では国内の業者や世論に対して、また一方では米国に対して、だ。

 これはどのような政治的課題についても同様だが、国よかれ、国民よかれと考えるその見解としての「一般意志」的なものの相違や議論ということと、単に個々の利害の総和に過ぎない「全体意志」ということは別だ。

 民主制度においては、政治議論としては前者を理想としつつ、同時に後者におけるような利害の「調整」という機能を(完璧ではないにせよ)もある程度を持とうとしている。

 しかしながら、個人間(業種間)の利害ということは、国民の生命・財産の保護であるとか国家の保全ということよりも下位に位置づけられるべきものであって、政治議論というものは(あるいは世論も)、それが先の例でいえば前者にあたるような「政治議論」であるのか、あるいは後者のような「利害の主張」であるのかということを弁別して取り扱う必要があるだろう。

 たとえば吉野家をはじめ業界の一部が声を大に主張してきたるところのものは、僕の見るところは、まず単なる個人的利害感の域を出るものではない。(もっともそれを責めているのではない。前述のとおり、利害調整ということは求めてよい。それに誰もが例えば松下幸之助翁のように志を高く持することができるものではなかろう)
 もし、より一般意志的に、あるいは故松下翁のように、商売を通して国民の福利を願うような立場の業者であれば、BSE云々にかかわらずあのような肉を客に食べさそうとするとは個人的に僕には思い難い。(なんせ米国の食肉生産現場のひどさといったら…彼らはましてその中でも安く入手できるものを選りすぐるわけだから… ^^;)
 (重ねて、だからといって責めるつもりはない。資本主義とはそういうものだ。もっとも、例がまずかった、個人的に僕が吉野家を不味くて嫌いであるから多少表現が辛くなりがちかも ^^;) 僕は「なか卯」なら好き)

 しかし、やはり政府であり国会でありマスコミは、そうした利害主張の声と、政治としての見解の声とをよく聞き分ける必要がある。
 前述したように、国民の安全に関わるような課題については、利害主張は後回し、まず本来の政治的議論が十分に為されるべきだ。そこでは、国民の安全ということ、あるいは外交的判断ということも含め諸々の判断要素があるだろう(優先順位はあるにせよ)。

 しかるのちに、利害主張の声に対することになるが、ここにおいてもある程度の毅然さを持すべきだと思う。
 対応としては、被害の大きい業者等の救済ということもあるだろうが、一例として今回の牛肉問題についてならば、そこまで甘くなる必要はないだろうと僕などは思っている。
 これは突如の天災ではない。
 ことが大きくなる以前から延々と取り沙汰されてきた問題であって、その間に対処する暇はある程度あった。そのような国際的議論の間も、しかも恐るべき劣悪な環境下での生産をものともせず漫然とワンチャンネル輸入を続けてきた経営者にはむしろ経営責任が問われる余地すらある。

 本論からは多少ずれるが、僕は自由主義的態度を愛するものではあるけれど、しかし、一定以上に国民の健康や生命に関わるような事項については、いわく「何を輸入しようとも、購入して消費するかどうかは個々の国民の判断であって、禁輸だの何だのと政府が介入する必要はない」という立場には与しない。
 常々主張しているところだが、国民個々は、さまざま諸事について万事十分な知識、情報と判断力を持っているわけではないし、またその必要もない。国民はそれぞれに自らの正面となる仕事であり生活でありを持っているのであって、それ故に民主的選挙を通じてある程度の大方針を選択し、また委任に足る代議士を選び、細々については彼ら代表者に信託している。
 場合によっては生命健康に重大な支障を与え得るような食品をあらかじめシャットアウトすることは、政府が上記のような国民の負託に応える当然の範疇だ。


 さて、もちろん、毅然と対するということでは、米国に対しての姿勢もある。

 危機管理ということで問題とされねばならないのは、事態の起こりえる確率頻度(蓋然性)と、起こりえた場合における衝撃度(インパクト)の両者だ。
 例え大したダメージにいたらないことであっても頻々と起こりえる(もしくは現に起こる)問題については当然ながら対処が必要だ。
 それと同様に、滅多には起こらないが(が起こり得る)起こった場合にダメージが甚大であろうと予測されることについては、やはりこれも対処が必要だ。
 一般にはこれら両者のモノサシで測り、費用対効果とのバランスを勘案して対処が考慮されることになる。

 今回の牛肉輸入問題については、「リスクは非常に少ない」ということを論拠として基準合意と輸入再開が決められたが、この「リスクが非常に少ない」というのは、確率論であって、インパクトを言っているわけではない。
 しかし、生じた場合のインパクト(ダメージ)を考慮すれば、当然慎重になってよい。
 天秤の反対側に乗っているものがやはり同様に健康や生命であるならともかく、この場合に反対側に乗っているのは、国内業者と米国業者の利益だ。(もちろん国内消費者の願望もあるが、体に良くない可能性をわかっていて親が子供に何でも好きなものを買い与えないのと同じ着意が(語弊はあるが)やはり国には必要だ)


■対立止揚のためには、日米という枠にとらわれず、両国民の健康を求める姿勢を前提とすべきではないかと僕は思っている。

 この問題は、仮にも国民の健康を問題とする以上、本来は、日本だのアメリカだのといわず、両国民にとっての安全と利便のバランスが心配(考慮)されるべきだろうと思う。まして友人間にあってはなおのことだ。

 よその子供であっても叱りましょう、ではないが ^^;) 友邦としては、仮に日本人が全く食べないものであっても、もし米国人が好んで食べるものに危険があればそれを知らせもし、注意喚起しておかしくない。(もちろん判断も責任も米国政府にしか負いようはないが)

 今回の問題についても、「日本はこんなものを国民に食べさせない」ではなく(現にアメリカは「こんなもの」を国民に食べさせているわけだ)、日米を問わず両国民にとって、あまりよい状態ではないということを日本は両国民に問いかけ、要すれば啓蒙もし、共同で対策を考えようじゃないかというくらいであってもよいのではないかとも思う。

 そのためには、例えば日本は米国のNGO団体等とも力を併せることができるだろう。(表面的実際的には日本のNGOを通じて、ということになるだろうが)
 米国とても、今回大騒ぎしているのは肉牛業者であって、一般国民ではない。さきの僕の例えでいえば、これらは米国と米国民のためではなく、自らの商業利益を主張しているに過ぎない。
 一方では、そんな米国にはさまざまな消費者団体等の非政府組織が実に大きな力をもって活動している。

 僕は以前、問題が過熱化する前の時期、テレビで米国の食肉生産現場を取材する報道を見たことがあるが、そうした映像を見るならば、正直言って、かなりそうしたことには無頓着な僕ではあっても、ちょっとこれを人間が食べるのは果たしてどうなんだろうと思わずにはいられなかった。と、言っても僕は食べるかもしれないが(そのへんバカなので ^^;)、しかし彼女には食べてほしくないし、子供にも食べさせたくない気持ちになる。
 いま思えば録画しておきたかったくらいだが、どういうわけだか、その後、真に米国との間で問題となってからは、その手の報道をとんと見ない。
 現場の映像、レポートを見れば、日本人であれ米国人であれ、大いに衝撃を受けずにはいられないと思うのだが…

 民主党も今朝のテレビでは、誰だか忘れたが、やはり意気揚々と政府を批判していたが ^^;)、いわく、民主党はアメリカに調査団を派遣して調べても来たが、こうなることは目に見えていた云々と。
 しかし民主党も、どのように旅行気分ではなく現場をしっかり見てきたのか知らないが、それを説得力をもって国民に示したり、マスコミを通じて啓蒙するなどの活動は全くされていなかったと思う。

 そうした映像云々は例言に過ぎないが、いずれにせよ、国内外のNGO等も巻き込みながら、両国互いに業者の主張を越えて国民消費者を巻きこんでの議論としつつ、両国民の健康を考えるという土俵を設定したいものだ。
 米国とて、彼らの交渉は関連業者を代弁して強硬に行われているのであり、そこに消費者の主張が現れてくれば、交渉の前提態度は異なってもくるだろう。

 このように言うと、戦術的な話にも聞こえるだろうが(むろんそれもあるにせよ)、今日、そして将来というのは、個々の国家が独り他国との諸関係諸連環を無視しては存在し得ないのであって、安全保障に限らず、エネルギーであれ食品であれ、何であれ、ある程度は互いの国の枠を越えて両国で両国の国民のことを考えるという姿勢が必要(かつ効果的)になってくるのではないだろうか。

 日本人にとって危ない(かもしれない)食品なのであればそれは米国民にとっても危ない(かもしれない)食品なのだ。
 それをもっと米国民に知らしめることも、米政府を説得することも、戦術的に意義があるばかりでなく、上記のような良心にもつながるのではないか(そしてそういう良心的大義名分というのは、特に米国などには効く場合も多い)

 日米を問わず両友好国の国民がともに安全を享受できる態勢を目標とする、と宣言してもいい。
 そのうえで、共同研究を提案、実施。
 その間、日米両国の消費者団体、食品安全関連のNGOを取り込んでいき、両国民に対する啓蒙活動を行う。
 米生産業者に対するケアを考慮し、日米両国で必要な支援を行う。(仮にここである程度の出費があったとしても、それは日本の国益に適う)
 最終的に、共通の食肉品質基準を設定する。それは生産体制の合理性、コストパフォーマンスから、衛生安全まで含んだ包括的なものとし、ひとつのブランド基準とし得るものにする。安い、上手い、安全、だ。この間には、豪州など第三国も取り込んでいってもよいかもしれない。

 あくまでも、日本だけの問題ではないのだと、日米両国の国民の健康を考えたいということ、そしてそのために日米が力を合わそう、そこで生産業者を支援するためには日本も手をこまねいてはいない、と、こうしたメッセージが明確に示されていれば、反感や摩擦は最小限にとどめられるだろう。

※ところで巷のblogでは、牛肉輸入問題については僕は(全面的ではないにせよ)ある程度きっこのブログのきっこさんに同感している。こちらは非常にこの問題について精力的なので、関心のある方は訪ねて過去記事など渉猟してみられてもよいかも。



posted by Shu UETA at 15:17| Comment(0) | TrackBack(1) | 天下-安全保障・外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Tracked: 2006-01-22 17:21
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