2006年01月12日

(名将言行録) 陣頭指揮

マガジン「名将言行録」70号関連記事

 些かタイムリーさを欠いて、もはや先々週号となる第70号に関する記事ですが、遅れ馳せながらひとつ思い当たるお話をしておこうかと思います。

 70号では、前田利家が戦陣の織田信長を懐古しながら、指揮官の陣頭指揮について触れる件りがありました。

 いわく、
 合戦の際に大将が本陣にばかりいて、先陣の一段二段も崩れれば、必ず敵に押し立てられ、思いも寄らぬ負けを取るものだ。
 かの信長公は、先陣として並びなき将である柴田勝家や森可成らを先手に据えておきながらも、かつ御自身は本陣を据え置いて、馬上乗り違え乗り違えして馳せ廻っては自ら先陣を鼓舞し、力づけ、号令なさったもの。
 勝ち戦さであれば思いのままに討ち伏せ、もし味方不利であれば退却を命じられる。
 大将が本陣にばかりあっては不覚をとるものだ、と。

 例により筆者の個人的な経験と考察ではありますが、「陣頭指揮」ということについて少し述べてみたいと思います。




 陣頭指揮というと、単に指揮官が自ら前線、いわゆる現場に立つことと漠然とイメージされる向きが多いでしょうが、指揮活動において、指揮官が前線や現場に位置するということには、明確にいくつかの意義が考えられます。

 いわゆる初級幹部については、「陣頭指揮」あるいは「現場進出」ということが半ば刷り込みのように指導されることが多いものですが、それはあくまで初心初級の話。(「守破離」でいえば「守」のステージといえるでしょう)
 それは、現場に立つことを厭わない心性を養う効果と、現場指揮官としての初級幹部の位置づけに立脚するものであって、ただ「指揮官=陣頭指揮すべき」として徒に現場に立てば良いというものではありません。

 ただ徒に、ではなく、その本来の意義を理解することで、状況に応じた現場進出の適否や陣頭指揮のあり方というものが自ずから着意されることになります。

 その意義とは、おおよそ次のようなものが考えられます。

 1 指揮機能として、
 自ら現場、前線の状況を掌握、判断することで、情報伝達上のノイズを無くし、掌握と判断及び伝達の正確を期するとともに、自ら号令することを併せて、指揮活動(状況判断−決心−命令−監督−修正、及び通報・報告、等)サイクルの迅速化を図ること。

 2 統御機能として、
 指揮官自らが前線に立つことで現場の士気を維持あるいは向上させること。

 3 加えて、
 フォームに則った報告にデータとして乗らないような現場の実情感覚を直に看取することで、前記両機能に資すること。

 1の指揮機能に関しては、わかりやすく特に説明は不要でしょうが、例えば、「現場−指揮所」間での報告−指揮のやり取りが悠長に過ぎると思われるような、状況の緊迫度の高い場合において指揮官が現場に進出して指揮を執るというのは最も多いケースかもしれません。

 また、経験のある方なら大いに実感されるでしょうが、現場において、そこにいない上司と連絡を維持して逐次報告し指示を受けるというのは、人員的にも、場合によっては(事態の急迫度が高いほど)相当に現場にとっての負担ともなります。

 2の統御機能については、これは指揮官のキャラクターや指揮スタイル、あるいはその場の状況によってさまざまに色合いは異なりますが、
 例えば、
 「見張っているぞ」的な、いわば「威」的な効果であったり、
 「見守っているぞ」「一緒に戦うぞ」的な、いわば「徳」的な効果であったり、
 指揮官が卓越した能力と実績を持っているならば、その存在が前線に「必勝感」「安心感」をもたらすという効果であったり、
 あるいは実際にはこれらがさまざまなバランスで混合して、人心、士気に何らかの良い影響を与えることが期待されます。

 利家が言う「信長公」のやり様というのは、ここでは、指揮統御の両面における効果をあげているようです。

 「御自身馬上馳せ廻っては自ら先陣を鼓舞し、力づけ、」というのは、ここでいう僕の便宜的分類によれば統御的効果を指していますし、
 「勝ち戦さであれば思いのままに討ち伏せ、もし味方不利であれば退却を命じ」というのは、(とりわけ後者においてなど)指揮機能における効果を指しているといえるでしょう。

 信長公記をはじめとする文献では、苦戦に陥り、崩れそうな前線も、信長が姿を現すと打って変わって盛り返すということが方々に見られます。
 また、かのナポレオンも、彼自らが存在した戦線においてはついに生涯敗北したことがなかったというのは有名です。
 (彼には信長における明智・羽柴・丹羽・柴田…といった優れた軍団司令官がいませんでした。もちろんそれは組織戦略的見地に立てばナポレオンその人自身の不作為でもあったわけですが、ナポレオンは戦線を馳せ回り自ら勝利し続けながらも、自らの存在しない戦線での敗北に歯噛みしつつ、戦争そのものに敗北するという憂き目を見ました。これらは余談ですね)


 さて、上記のような理解は一例としても、どのような整理にせよ、そこにいくつかの意義のありようがあるならば、その運用においては、それらの意義に照らして是非の判断、さらには態様の使い分けということが着意されるべきでしょう。

 つまり、まずは「本当に陣頭指揮が必要か」ということが判断されるべきであり、必要であるならば、今回この状況においてそれはどのような意義(効果)を求めて行うものかということが着意されるべきです。
 それによって現場指揮のアプローチやスタイルも選択されることになるでしょう。


 さらにそれに加えて、(多少応用編ではありますが)「指揮官の位置取りに意味をもたせる」ということまで(可能であれば)僕は勧奨しています。

 これまでもしばしば、指揮官というものは、その言葉や一挙一動が、本人も部下たちも無意識のうちに、組織の価値観に影響を与えるのだということを書いてきましたが、それは指揮官の位置取りということについても同様です。
 そこで、事に際しての言動を、その組織に与える効果を推し量って選択することが意味を持つように、指揮官は、自らの位置取りということを活用することができます。

 つまり、自らの位置取りによって、組織に対して緊張度を高めたり、あるいは逆にリラックスさせるということもあり得ます。

 たとえば極端な例ですが、
 仮に平素滅多なこと、多少のトラブルでは陣頭に表れない上司が、あるトラブルに際して速やかに現場に現れた、あるいはどっかりとそこに席をとれば、それは言葉を並べる以上に、事態の重要性ということを現場に意識させることになるでしょう。
 (逆のケースは要注意です。つまり常々いつも現場にいるのに、それが来ないとなると、何らかの別件理由によるものであるにせよ、理由を問わず、現場には無意識のうちにも悪い意味でのリラックス、気の緩みも顕在化しがちです)

 僕自身は、後輩たちには基本的に、「用もないのに現場に行くな」と言っていました。
 これは多少のインパクトを期待して語弊のある表現になっていますが、「用がない」とは実際には「要がない」ということを言いたいわけです。

 いちいち用(要)もないのに現場に行くな。現場に任せて済むことはちゃんと任せろ。そしてその「任せられる」範囲を広げていくのも重要な平素の活動だ、
 そしていざ要があって現場に出るなら、その時には、そのこと自体が現場に事態の重要性を意識させるようであるべきだ、現場が引き締まるようであるべきだ、と。

 (利家も「本陣にばかりいてはならない」と言っていますが、それは「先陣にばかりいてよい」と言っているわけではありませんし、信長は通常は他の武将以上に本陣に腰を据えて戦線全般を見渡していたことも多かった面もあります。つまりは信長とても「必要があれば果敢に」前線に出ていたというべきでしょう。)

 もうひとつ言えば、陣頭指揮が言葉のうえでも「指揮」とある通り、指揮官が自ら陣頭にあって指揮を繰り返すことになれば、下級者の育成には差し障りが生じがちです。
 部下は、任せながら育成していくもので、その上積みのペースを判断するセンスや、実務の中でそれを行ううえでの責任上のリスクを責任者として甘受する度量が、指揮官の力量の一定部分でもあります。


 次に、「陣頭指揮」と言うとき、「陣頭」とはどこなのか、
 この判断もきわめて重要な指揮センスということになります。

 一般に歴史上のエピソードに例を得たような(例えば「名将言行録」もそうですね)書物における「陣頭指揮」といえば、誰しも戦闘シーンを思い浮かべて、容易にそのイメージをもつことができるでしょう。
 それで「わかった気」にはなるのですが、しかし、いざ自分がそれを実行しようとした時、そうした戦場(それも陸上戦闘)におけるイメージは、そうそう簡単に自分の現実の環境に当てはめられるでしょうか。

 たとえば仕事において、旧来的陸戦のようなわかりやすい戦場がそこにはあるでしょうか。(陸上戦闘においても、今日はさまざまに様相を変化させていますが)

 この「陣頭がどこかを判断する」ということにも、先に述べた、それに「何の意義を求めるか」ということが重要になってくるはずです。

 この「陣頭指揮」という言葉を、「陣頭」と「指揮」に分けて、それぞれに重みを考えてみましょう。

 「陣頭」ということに重みを置くならば、それはまさに「矢面に(共に)立つ、共に戦う」ということであり、さきの僕の整理によれば、より「統御」的な側面において意義が生じます。
 この矢面というのは、文字通りに何らかの攻撃を受ける位置かもしれませんし、戦闘でなくとも、たとえば土砂降りの雨や氷点下の厳寒あるいは酷暑の中での作業の場や外回り、それとも不眠不休の作業現場であるかもしれません。

 「指揮」ということにより重みを置くならば、それは「指揮に適した前線位置」を求めます。
 それは、状況を見渡すのに優れ、かつ命令指示と報告の伝達に適した位置取りを考えなければなりません。
 この場合、一見ビジュアル的に最前線っぽくはない場所が、指揮における最前線位置となる場合が多々あります。この最適位置を迅速的確に見極める目も、指揮官のセンスのひとつでしょう。

 より「現場」的ムード満々の、例えば何か屋外作業のようなケースにおいても、指揮に適した位置の選定ということは、着意されるべきです。
 例えばそれは、各作業場所が概ね視野に入り、かつそれぞれの場所に均等に(あるいは場合によっては重要度に応じて)命令指示が容易であり、また各員から指揮官の位置が明確にわかるような場所です。さらには自分の上級者に対する連絡手段の便ということも加わるかもしれません。


 最後に、陣頭指揮における注意点をいくつかあげておきましょう。

 まず、指揮系統の混乱を防ぐということについて。

 陣頭指揮、とりわけ現場における指揮とは「号令」を命令の主たる形式とするのが原則的な前提です。
 一般に命令には「訓令形式、命令形式、号令形式」というものがあり、指揮下部隊規模や任務の性質によって使い分けられますが、「号令形式」とは、訓令形式や命令形式のように「目的を示して」実行させるのではなく、いちいちに「あれをせよ」「なにをどうせよ」「それをやめよ」「〜を注意せよ」「進めぇっ」「退けぇ」などと、直接「すべき行動を示して」実行させる形式です。

 そこで、陣頭指揮に立つならば、以降、自ら直接号令を発することになる場合が多くなりますが、その際、その場の指揮権が移動したことを、まず周知徹底させなければなりません。
 軍隊や自衛隊、警察などでは、この「これより誰それがこの場の指揮をとる」ということを明言し、指揮権の移動を明確にする習慣が根付いていますが、それでも場合によっては多少の混乱をみることがあります。

 本来のその現場の指揮官であった者の上級者が現場進出した際に、あくまで当該現場の指揮は現場指揮官がとり続けるのか、あるいは、以後はその上級者が指揮を執るのか、それを明確にしなければなりません。
 もし引き続き現場指揮官に指揮をとらせるのであれば、上級指揮官は例えその場にいても、勝手に個々のメンバーに号令指示を与えてはいけません。彼は、現場指揮官に対してのみ命令指示を与えます。


 もうひとつの注意事項は、通信連絡手段の確保と指揮官の位置の明示です。
 その現場において全体に直接声が届くようなケースならばよしとして、そうではない多くの場合、指揮下各持ち場との間の連絡手段ということが確保され、かつそれが周知されていなければなりません。これは、指揮官の位置の明示ということと一体でもあります。

 特に(これは初心者はやらないほうが良いと思いますが)今回の信長のエピソードのように、直接前線を駆け回ることがあるような場合、連絡手段の確保ということに特に着意するとともに、それら「駆け回り」は迅速を第一とし、ひとところに滞留することを避け、原則として本来の指揮位置を中心にすることが大切です。

 また、そうして位置や連絡手段を確保明示するとともに、万一の際に備え、次級者、代行者等の指定を明確に行なっておく必要があります。


 注意点の最後は、前線の負担になってはならないということです。

 上級指揮官の現場入りというものは、その地位が高くなればなるほど、現場に余計な負荷を与え、エネルギーを消費させます。それは儀礼的なものが大部分を占め、あるいは現場の状況報告を形式に則ってさせる等もありますが、いずれにせよ、度を超す場合には立派な妨害工作であり利敵行為にすらなり得るというくらいの自覚を上級指揮官は持たねばなりません。

 通常時の視察等であれば構いませんが、仮にも本来的な意味で現場進出が必要な場合においては、「欠礼御免」でなくてはなりませんし、現場にいらぬ気をつかわせるものではありません。


 このテーマ、具体的体験談も含め、話せばまだまだ深いテーマではあるのですが、まずはざっくりとご紹介まで。



posted by Shu UETA at 14:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 名将言行録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
らいと と申します。
以前あいさつをしたままになっておりまして、
誠に申しわけございません。

大谷吉継のリクエストにまで応えてくださり
うれしさを通り越して、何とお礼を言ったらよいのでしょう。m(__)m

私がコメントをためらっていたのは、自分自身が
持っているブログのジャンルのためでした。
fc2ブログならば、コメント欄を通じて感想を
かけますが、なんと、先日気がついたときには、
私と同じseesaa blogでしたので、非礼とは知りつつ足跡だけを残しました。
私は戦国時代が大好きなので、この話題についてのみでいいですので、普通に接してくださるととてもうれしいです。

No1も今朝届いたNo.2も永久保存版です。
改めて、訪れますね。m(__)m
これからもメールマガジンの発行を
よろしくお願い致します。
Posted by らいと at 2006年01月31日 13:02
> らいとさん

 お返事が遅れ、たいへん失礼しましたっ
 (どうもしばらくサボってしまって ^^;)

 僕も戦国時代は好きですよ。
 いろいろお話できるといいですねっ
 もっとも、僕は教えていただくほうが多いかもしれませんが。多少広かったとしても、しかし浅い方ですので。^^;)

 大谷吉継といえば、名将言行録のマガジンでは早速リクエストにお応えしてみたのですが、どうも名将言行録にはネタが少ないようです。
 また、淡々とした筆致で描かれているせいもあって、冷静な頭脳ばかりが際立つ一方で彼ならではの熱いハートがあまり描写されていないのが残念ですね。

 毎週毎週拙いもので恐縮ですが、今後とも多少なりとお楽しみのうえ、折々にお話しなどできればうれしいです。
 今後ともよろしくお願いします ^^)
Posted by Shu at 2006年02月13日 21:21
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