2009年03月06日

意識の濃淡と偏り


 近頃、あらためて直感するというか、なんとなく実感することに、

 意識の濃淡の偏りが、不具合や障害を起こしがちなのでは

 ということがある。

 これは、武術的に自らの身体意識についていう場合には、その道では何ら真新しいことではないが、
 これというのは、ただ自身の身体意識についてのみならず、人の組織についてもいえるような気がしている。


  人は自分の身体各部を意識するのに、その意識には、身体の部分ごとに強い濃淡がある。
 一般的にには、通常時、顔や手のひら、体の前側は、比較的意識が濃い。
 逆に、体の背中側や、たとえば足の踵、小指などは、意識が薄い場合が多い。
 ただし、背後の視線を気にしている状況などでは、背中の意識が濃くなりやすい。
 怪我をしている部分は意識が濃い。
 女性であれば男性よりは、胸部や臀部の意識が濃い場合が多い。
 また、その時に使用している部位は、意識が濃くなる。
 足先や、身体のどこかをよくモノにぶつける人は、その部分の意識が特に薄い。

 武術では、この濃淡を薄める(均等化する)、ならびに濃淡をコントロールすることが必要だ。
 そういう意識のパラダイムさえ持てば、思う以上に容易に、対している相手の身体意識の濃淡を見てとることもできる。
 突きや蹴り、抜刀であれ(抜刀は僕はされたことがないけれど)、動作の起こりには、先立って相手のその部分が「濃く」なる。
 これは、案外誰にでもできる、訓練というよりは、そうしたパラダイムを持ちさえすれば。武術や格闘技といわず、スポーツでも試せる。

 武術にいう平常心には、さまざまな次元での解釈が可能だし、またそれ故に深みのある戒めなのだろうが、
 弓を引く心で弓を引くのではなく、剣を振る心で剣を振るのではなく、というのには、意識の濃淡を生むのを防ぐということもあるのではないだろうか。

 兵法家伝書や、その師たる沢庵の不動智神妙録などで有名なように、
 心の居着きは「病」であると、武術ではかんがえる。(勝負に対する上での「病」)
 一方で、気の術士などは、病気とは気の流れの滞りだという。(健康上の「病」)

 ところで、
 たとえば数十人の部下とともにあるとき、
 あるいはたとえば聴衆の前で演壇に、学生の前で教壇に立つとき、
 上官や講師・教師は、自らの身体意識だけではなく、その意識をその場の全体に拡張しているのが普通だ。(無意識的であれ)

 その拡張された意識にも、濃淡は色濃く出る。
 この、「場に対する」あるいは「組織における」指揮者の意識の濃淡や偏りは、やはり障害や不具合の因となる場合が多いのではないか。

 これは以前、多くの部下と一緒に仕事をしていた際にも痛感したことがあるが、
 近頃、ふと、教壇に立ちながら、あらためて直感した。
 たいへん有難いことに、生徒は増加の一途。うれしい反面、人数が増えると、意識の濃淡は色濃くなる。それをふいに実感して、あらためて考えた。

 身体に置き換えて、原点に立ち戻って考えれば、
 意識の濃淡の偏りの「病」(障害)を防ぐコントロールとは、二つある。
 一つは、意識を均等にすること、
 二つには、意識の濃い部分を、居着かせず、流動させる、もしくは転々とさせること。

 意識を均等にするには、静座して、ゆったりと意識、心をひろげていく稽古ができる(慣れるまでは、そのイメージを抱きつつ、身体のあらゆるマイナーな部位の意識を確認する)し、徐々に、歩きながら、作業や仕事をしながらそれができるようになっていくが、
 実は、「耳を澄ませる」というのも、即効性の高いインスタントな方法ではないかと、僕は思っている。
 人は、耳を澄ませるとき、身体がひらく(ことが多いように思う)。
 ゆったりリラックスして、「耳を澄ませ」ながら、意識を身体各所に広げてみる。
 これに慣れると、いつどこでも「耳を澄ませる」ことが意識を広げるスイッチとなりやすい。

 この、意識を広げる、耳を澄ませる、というのは、イメージ的にもかなりそのまま、組織に対する拡大意識にも応用できるように思う。

 意識の濃い部分を流動させる、あるいは転々とさせる、という方については、むしろ組織に対してのほうが簡単にできそうだ。

 組織、といわず、およそ人間関係について、「気持ちを向ける」ということは大切なことだと思う。
 家族であれ、仲間であれ、ましてや恋人。

 そして、さらに、
 実は自分の仕事やそのタスク、夢や志のひとつひとつ、あるいは個々の小さな願望についても、「気持ちをむける」「意識を向ける」ことは大切であり、その偏りは、対人以上に、大きな影響を与えるように思う。
 それらにとっては、まさにその向ける気持ち、意識が、エネルギー源になる。

 と、あらためて 鍛錬をはじめた今日この頃。

 演奏においても、よいプレイヤーは文字通り以上に意識のうえでも、全体に「耳を澄ませて」いるんだろうし、そうあるべきだと思う。
 今ではあまり良いこととも思わないが、経験上、筋トレのようなものも、鍛える部分に意識をしっかりあてたほうが、効果は高いように思う。
 女性であれば、意識を濃く向けている部分は、きれいになりやすいように思う。(いや、それを願ってそうするなら男性も同じだろうけど。)


 余談だが、、、
 意識の拡大ということは、他の効果もあって、
 ちょっとトンデモ話っぽいかもしれないけれど、以前、この訓練をかなり懸命にやっていた頃は、
 家の北側の部屋で仕事していて、反対の南側の部屋のベランダに猫やスズメが来たのがわかるほどになったことがある。
 当時、かわいがっている野良猫がいたのと、常にスズメは大好きだから、いつも待ち構えて、ベランダに意識を拡大する練習をしてた。 ^^;)
 そうして考えると、往時の名人達人の類が、家を訪ねてくる人のあるのを察知したり、待ち伏せを看破したりなどしたという数知れぬエピソードは、まんざら誇張された話でもないんだろうと思う。

posted by Shu UETA at 03:06| Comment(5) | TrackBack(0) | 武術/身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ご無沙汰してますっ。
最後の段は剣術小説にでてくる「観法」というものでしょうか? 矢張り、あるんですね、そういう力は。
Posted by 暁 at 2009年03月06日 04:11
> 暁くん

 観法というのはよくわからないけど、「離見の見」的なものかな…剣術小説で「観」というのは。

 でも、意識空間の拡大というのは、あるように思う。それも、悟りだとか、凄絶な修行の果てとかいうのではなく、案外と身に親しく。
 (古代人は普通に発揮していたんでは?というのもよくきくけれど)

 ところで剣術関連の「小説」なら、
 津本陽の「柳生兵庫助」はオススメ。
 秀逸。
 ぜひいつかどうぞ。
Posted by Shu at 2009年03月06日 04:27
非常に興味深いお話でした!
僕もクラシックギターを弾くようになって、意識の拡大を経験をしたことがあります。
クラシックギターは一人で旋律と伴奏、各声部を表現しなければいけないので、演奏しながら自分の出す音すべてを聞いて、意識する必要があります。ちょっとした訓練でこれが少しできるようになると、自分の音楽の質が変わりました。そして、自分が2人になった感覚を覚えました。(ちなみに、僕の先生は自分の中に4人の表現者を作れるらしいですw)
相手の意識の濃淡を感じるということは、演奏などを聞いていて、「音を置きにいった。」「難しいパッセージなので必死だった。」「間違えないように弾こうとした。」など奏者の意図を感じとるのと同じような気がします。上手い奏者ほどそういうことを聴衆になかなか悟らせませんし、上手い奏者ほど他の奏者のちょっとした内面の動きを敏感に感じ取ったりもします。

意識の拡大、意識の濃淡と偏りは、本当にいろんなことに当てはまりそうですね。
Posted by ssk at 2009年03月07日 20:32
> sskさん

 や、そこに触れてもらえるとはうれしいですっ
 音楽は、今いちばん試行錯誤しているところなので。
 ついでのように音楽の話を入れていますが、実はあそこにはかなり思い入れはあるんですよね、本当は。
 ただ、友人知人やよく訪れてくれる読者の中に音楽屋はいないので、力説するところでもないなと。(僕自身、まだまだへなちょこだし)

 sskさんの噂はかねがね耳にさせてもらっていて、ぜひいつかお話をうかがってみたい人のひとりなんですが、
 僕がもう少し腕前をあげてから、いろいろご教示を仰ぎたいと思ううちに、徒に日を延べてしまっています。^^;)

 あくまで聴き手として言うエラそうな話ですが、
 一流のアーティストは、ステージにあって、会場その場の全体に、自分の意識を拡大しているように感じます。特にボーカリストは、その差が、単なる技量を超えた何ものかを生み出しているように感じることがよくあります。

 僕は、指揮号令者として、話し手として、ふとそういう瞬間を感じたことがありますが、
 楽器のプレーヤーとしては、まだまだバンド内という広がりにおいてさえ怪しいものです。

 ところで、自分の中での複数の意識というのは、お話をきいて、いま僕の中で急速に思索の触媒化しています。
 武術的には離見の見といったものを想起しました。

 僕はベーシストなのですが、歌の意識とベースの意識のやりとりがなかなかうまくいっていません。近頃ようやく、うっすらとそれぞれの意識の輪郭が立ち上がってきつつあるような…まだ微妙ですが。

 本当はそこに、ギター、ドラム、それぞれの音と空気、奏者の意識の流れまで、明瞭に意識を確立したいのですが。自分が歌ってないときでさえ、それでもこれがまだなかなか。

 今後とも、ぜひいろいろご教示いただきたいです。よろしくお願いします。
Posted by Shu at 2009年03月07日 21:11


大変充実した感覚でブログを読ませていただきました。
私は、仕事柄目に見えるものよりも、見えないとされているものに関わる機会が多いので、非常に近しくも、遥かにある物語のように読ませていただきました。

ありがとうございました。
Posted by Alchemist at 2014年08月09日 11:26
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