2005年12月24日

書籍「国家と外交」


 
田中 均
発売日:2005/11
価格
あまなつShopあまなつで見る同じレイアウトで作成

 良い本だった。お薦め。
 対談本であるせいもあってか、非常に読みやすく、一応の聖夜、ささやかにケーキを食しつつ小一時間ほどで読了。^^)

 カバー写真を見てもらえればわかる通り、その対談者とは、かの元外務審議官・田中均氏と、田原総一朗氏の両氏。
 あえて説明の必要はないだろうけど念のため、田中氏は、北朝鮮拉致問題で交渉の最前線に立った、あの田中氏だ。本年8月に外務省を退官している。

 さて、「良い」と言っていろいろな「良い」があるだろうが、僕がお薦めの理由とするのは、日本の実際の外交システムの様子を、ある程度の現場感覚とともに見ることができるという点においてだ。
 そこでは、状況分析と方針オプション設定から、政治と官の間での意思決定のありかた、交渉に至る事前準備や布石、段取りといった一連のプロセスを相当程度にイメージすることができる。

 さまざまな外交懸案において交渉最前線を担ってきた外交官として、外交、ひいては国家の統治のありかたまで、田中氏の思念するところ、信念するとことも端々に語られている。
 それらの個々についての個人的な賛否はさておき、いわば(少なくとも日本の現システムにおける)「外交のやり方」的なものをある程度了解するために、その読み易さも併せ、きわめて有意義、一読の価値ありと思う。

 外交に限ることではないが、行政機構のシステムや国際慣行ということを知らねば、当該領域における素人の政策構想も空理空論に墜ちがちだ。また、改革や改善に向けての矛先も的はずれにもなりやすい。
 そうした意味で、一読お薦めに足る。




 イメージアップのため、いくつか抜粋紹介をしておくので、興味のあるひとはお手にとってみられてはいかが。

 
田中:ところがブッシュ政権になって状況が一変したんです。そもそも軽水炉を二基やるとか言ってるKEDOに対して、非常に強い猜疑心をブッシュ政権は持っていました。そのうえ、九・一一の後は北朝鮮に対して相当強い政策をとるようになり、場合によっては武力行使も辞さないという雰囲気ができあがりつつあった。
 日本の外交を能動的に動かそうとしたときに、そういう状況があったからこそ動けた、ということがあるんです。

田原:そうか。北朝鮮にしてみれば、どうもアメリカが相手にしてくれない、ほんとうはアメリカと交渉したいんだけれどもダメだと。だから、日本がいま行けば北朝鮮は相手にせざるを得ない、ということですね。

田中:それに日本と韓国の関係がありますから。韓国の頭越しで日朝関係の改善を進めることは、外交上の原則からすればあり得ない。だけど、ちょうど韓国と北朝鮮はいい関係にある時期だった。一方で、アメリカが強い政策をとるがゆえに、北朝鮮は日本のほうを向いた。そこが一つのオポチュニティー(機会)だったわけです。
 外交というのは、そういう国際環境のうえでの機会があるかないかが大きくものを言う。機会をつかむかどうかが、事の成否を大きく左右するものだと思うんです。


 一定の紙数を割いて、やはり例の北朝鮮との交渉の経過が語られる。
 外交上の「機会」「環境」「タイミング」ということは、常にきわめて重要なファクターだが、より高等な外交(本来の外交)においてはそうした状況創造力も外交力というものではないかと思う。しかし、その点、日本はまだまだ弱い、もしくはそうした意図を欠いてもいるように僕は感じる。
 ただ、田中氏の話を聞くと、年来の日本外交は、そうした外交力をつけるべく「パーツづくり」に努めてきたものであったともとれる。
 そうした力の涵養を経て、これから日本外交は変わり得る、と田中氏は言う。


 
田中:そういうことです。そういう意味で、われわれが"クレディビリティチェック"と称する確認作業が必要になるんです。
 われわれのクレディビリティチェックは、彼らに対して、いくつかの問題を解決してくれという要望を出すことから始まりました。日本経済新聞の杉嶋岑という元記者がスパイとして捕まって、逮捕、監禁されていた。まずこれを無条件で日本に返してくれと。
 (中略)
 それができるかできないか。そういうことを積み上げていく。
 もちろん同じような疑問を相手は私に対して持ったはずです。「田中均という外務省のアジア大洋州局長は、果たして総理と直接アクセスを持っていて、かつ信頼に値する人間かどうか」と。彼らは彼らでチェックするわけです。
 (中略)
 そこで総理に対して直接のアクセスがあること、総理の指示を受けてやっているんだということを明らかにして、それで交渉に入っていくことができたわけです。


 これは、例の「ミスターX」なる人物との接触、交渉に触れて。
 具体的な話を交えつつ、外交のリアルな現場の一端が語られる場面も。


 
田中:だけど、決めるのは総理大臣です。
 第一、私たち官僚は、政治的な責任をとれないんですよ。総理が行く行かないという判断はわれわれにはできない。われわれができたのは、「総理が行かれれば、こういう結果になる蓋然性が高いです。その反面、リスクもあります。しかし、われわれは政治的な責任をとれないから、総理のご判断をいただきたい。訪朝された場合、平壌宣言というのはこういう内容になります」といった説明をすることです。そのうえで総理が最終的に判断をする。
 小泉総理という人は、原理原則がものすごくはっきりしている人なんです。だから訪朝を決意した後は、アメリカや韓国とか、中国やロシアに内報する具体的な段取り、タイミングをきちんと決め、それらの国から絶対に秘密が漏れないようにしろと指示された。



 
田中:われわれ官僚というのは、「こういう問題点があります、だからわれわれはこちらのほうがいいと思います、よってこの問題は提起されるべきではないと思います」ということを政治家に対して言うけれども、政治的判断というのはわれわれが指摘するような問題点を踏まえたうえでなされるものなんです。だからそういう判断を総理がすることは、それはそれで日本の民主主義制度のあり方として正しいわけです。
 同時に、一国の総理大臣が相手国の首脳に対してものを言うということは、ものすごく重いんですよ。そして、実はほとんどの外交というのはそういう首脳間のやり取りをもとにして、それを実現していくプロセスであることが多い。だから私たちが事務的に考えて難しいと思ったけれど、総理大臣が自分の政治的な責任で述べ、相手がそれを受け止めたことですから、それはどうしても実現するぞ、ということだったんですね。

田原:なるほどね。官僚というのはそういうものだと。

田中:そうです。だからそれ以降、私から橋本総理に申し上げたのは、「やはり物事というのは一つの利益じゃないんです」ということでした。
 「普天間の返還というのは象徴的に大事なことだけれど、普天間の返還を決めた後は必ず防衛協力のガイドラインの見直しをしてください。そこで日本の役割を確定していくという作業を是非やってください」と言ったんです。


 これは、橋本首相が沖縄の普天間返還を米側に持ちかけた(クリントン大統領に)折の話から。
 普天間返還は、外務省の反対意見を聞いたうえで、しかし橋本総理が決心したものであったとのこと。かつ、ガイドライン見直しは、米側からの要請ではなく、日本提案であったということが明かされる。
 米国は、当初、そんなことはできまいと考え、まともにとりあわなかったという。


 
田中:七八年のときにできなかったのは、日本の国内にイデオロギーの対立があって、そういうことがタブーになったからなんです。ところが国際情勢が大きく変わってからも、官僚とか政府の間にそのタブーが生き続けているわけですよ。かつて、現在とは違う国内環境の中でできたタブーを、金科玉条のごとく守ってきた。集団的自衛権の問題もそうです。冷戦構造の中で「大きな戦争に巻きこまれる可能性がある」という前提で議論していた集団的自衛権の問題を、いまも同じように議論している。こんなばかげたことあり得ないんです。
 だから私は当時、「ガイドラインの見直しをしていますよ」という広告を主な週刊誌に出したんです。

田原:ほう。その広告ではどんなことを訴えたんですか。

田中:こういうことをやっています、ということと、見直しの中身はこういうものだということです。それから私は『中央公論』にも論文を書きました。それで世論の反応を見てみたんですが、ガイドラインの見直しについての批判はそれほどはなかった。そういうもんなんですよ。

田原:七○年代にやったら、もう大批判が寄せられて、田中さんもクビだったはずですよ。

田中:もちろんクビです。だから、日本の安全保障をもう少し正面から考えなくてはいけない、自分は頬かむりして厳しい事態になればアメリカが助けてくれるだろうという姿勢は変えていかなくてはならないんじゃないか。そういうことを常識として世間は感じていた。だから国民のほうがよっぽど賢いわけですよ。
 それなのに国会では、「あのときの国会答弁がああだったからこうだ」というような議論を依然として続けていた。国際環境が変わっているのに、旧態依然の議論をやっているほど愚かなことはない、と私は思うんです。まあ私は外務省の中でも異端かもしれなせんが(笑)。
 だからタブーと思われた普天間の返還やガイドラインの見直しも、正しいコンセプトを持って正面から説明すれば、国民は納得すると思うんですよね。


 こうした活動も、外務省のオペレーションとしてなかなか新鮮だった。


 
田中:私がやった政務担当の外務審議官というのは、総理の外遊に同行するので、総理と話す機会がすごく増える。そのときに、次の外交的な課題は何だろうかという話をしたときに、私は「国連の安保理改革を、次の外交課題にしましょう」と言ったんです。どうしてかと言えば、いま日本が常任理事国入りに打って出たとしても、軍事的貢献などの、何か新しい役割が日本に課せられることはないと思うからなんです。だとしたら、武村さんや田中秀征さんが心配したような事態にはならない。
 私が、日本に新しい役割が課せられないと思う理由は、アフガンについてもイラクについても、日本が自分で日本の役割を決めて、自分の判断として自衛隊を送っているからなんです。もちろんそれは小泉総理の判断だったわけです。私は外務審議官時代に小泉総理のすべての首脳会談に立ち会いましたけれど、そこでの小泉さんの揺るがない態度というのはこれは見事なんです。

田原:どういうところが見事なんです。

田中:要するにアメリカから何か圧力をかけられることを、手前でバーンと止めちゃうんですよ。

田原:どういうことですか。

田中:アメリカの大統領の口から自衛隊の「じ」の言葉が出てくることも拒否しちゃうんです。

田原:小泉さんが?

田中:そうですよ。俺に任せろ、と。

田原:と小泉さんが言うわけですか。

田中:言うんですよ、ブッシュに。「あなたの口から言う必要はありません。私が考えて、私が判断する」とね。

田原:日本の首相でそういうことを言う人は初めてでしょう。

田中:小泉総理という人は、大きな国際関係の流れとか、アメリカと対等な関係になるために必要なことを考えたうえで、自国の役割を決め、アメリカに言われる前にそれをやっていこうとしているんです。それによって初めて、対等な関係ということになると。

田原:いままでは、日本の政治家はポピュリストだから、国民が嫌がることを実行できなかった。だから全部外圧に頼ったわけですよね。

田中:一面ではそうですね。それがすべてだとは言わないけれど…。

田原:アメリカがこう言っているからしょうがないと。

田中:そうそう。

田原:ところが、小泉さんはそれを一切言わない?

田中:全くないんですよ。要するに日本の外交は、ここが大きな節目になります。いままでのように外圧に依存したり、どこかの国の顔色を窺ったりして対応を決めていく時代は終わりつつある。そういう時代を象徴するのが小泉総理ですよ。明らかに外交の構造改革が行われているんです。

田原:ちょっと具体的に聞きたい。九・一一が起きましたね。そこでまず、アメリカがビンラディンとその一味に対する攻撃をアフガンで始めるわけですね。で、それに対して小泉さんはいち早く支持声明を出しますね。ここは問題なかったんですか?

田中:ないでしょう。

田原:じゃあ問題は次のイラクです。イラク戦争をアメリカが始めた。これについては日本のマスコミもものすごく大きな問題とした。なぜならアメリカは先制的自衛って言うわけですね。「ほっときゃ向こうから来る。だから先制的自衛で攻撃する」と。で、このイラク戦争に対して、日本の国内には反対派のほうがはるかに多いわけです。
 しかしそこでも小泉さんは「支持する」と言った。外務省が「理解する」という言葉を使おうと思っていたのに、小泉さんが「支持」にしちゃった。

田中:イラクに限らず、外務省の以前からの姿勢は一貫して、自衛隊が海外に派遣されて戦闘するということは、憲法上認められていない、と。
 ところがアメリカは違う。アメリカは世界的なリーダーシップを持ったうえで、他国を侵略したり、重大な国際的ルールを犯した国に対して、軍事力を行使してでも立ち向かう。そのときに日本の立場は、日本自体は同じ行動をとれないので、それを「支持する」というわけにはいかなかった。国内的な議論を見てもそれは明らかだった。だから「理解する」という言葉をずっと使ってきたわけです。

田原:外務省はね。

田中:そう、外務省は。ところが小泉総理という人は全く違うんですよ。

田原:何がどう違うんですか。

田中:さっきも言ったように、日本という国は自分で自分の役割を決めて、特定の状況において、自分が判断をしてやっていくんだという態度で、一貫しているわけです。そこは歴代総理とは違う。
 あの人の郵政の取り扱いを見ていても、靖国の取り扱いを見ていても同じですよ。要するにいろんな人の意見は聞く。だけど決めるのは自分だ、と。そこを日本に置き換えると、「そりゃアメリカの意見は聞く、だけど日本が決めることなんだ」ということなんですね。そのときに、「理解する」なんて言葉を使う態度は、およそ小泉総理の姿勢に合わないわけです。

田原:曖昧すぎると。何を言っているのかわからないと。

田中:そう。私はね、総理が「支持」を決める一週間くらい前に、記者クラブで講演をしたんです。そのとき私は、「支持すること以外に選択肢はないんだ」という話をした。ところが小泉さんの考えは、これとも違うんですよ。「選択肢がないから支持をする」ということではないんですよ。
 「選択肢はいっぱいあるよ。別に支持をしないという選択肢だってある。だけどイラクに対するアメリカの行動を支持することは日本がやるべきことなんだ。自分はこれが正しいと思うから支持をするんだ」と。この姿勢に尽きるんですよ。


 ちょっと長い引用になったが、他にも方々で、小泉氏の「姿勢」ということに対する感嘆が語られる。
 僕自身も、直接小泉総理の指揮下で働いた外交官の話として読むと、なかなかにあらためて小泉首相について見直させられるところもあった。
 特にこの件りは、一般的に相当「意外」の感をもって受け止められるのではないだろうか。


 
田中:半導体の決着では、決して日本政府がシェアの約束をしているわけじゃない。だけどアメリカの企業がそういう期待を持っていることは理解します、ということですね。もうスレスレですよ。
 そのときにやっぱり本省で激しい議論になったんです。当時の条約局長だった小和田恒さんがね、「田中君、やっぱり原理原則は守るべきだ」と言うんです。

田原:筋を通せと。

田中:そう。それに対して私は、「これはあくまでクライシスだ」と反論したんです。
 「表面的にはともかく、現実的判断として日本のマーケットはいろんな商習慣などがあって実態は不透明だ。シェアは約束したわけじゃないけれど、これは市場が不透明な日本が、外国の半導体も差別することなく買っていくという一種の決意表明で、それは日本の利益にもなる。原理原則を外したんじゃないかという批判は受けるかもしれない。でも原理原則で突っ張るわけにはいかない」と。これはもう激しいやりとりでした。
 その小和田さんが後から言うんですけど、「あのときは君に議論で負けたから僕は二度と言わないけど、やっぱり君の意見は間違いだった」と(笑)。
 だけど一刻も早く日本のマーケットの透明性を高め、開かれたものにしたい。一刻の猶予もないんだ、という究極の目的のためには、ある程度はスレスレの手段だって使っていいじゃないかと私は思うんです。
 だから、外交には常に二つの座標軸があるんです。原理原則を堅持するべきだとする方向性と、いやいや、大きな目的を見据えて現実的に判断をしていくべきだという方向性です。


 他にも似たようなシチュエーションのエピソードはあるのだが、僕はこうした話を見て、多少安堵するところもあった。
 それは、官僚の「気概」というものの存在だ。
 省内において、上級者下級者の関係を越えて、このように「議論」し得る風潮にあるということは、素晴らしい。それこそが一人一人個々の行政官の気概というものだと僕は思う。


 
田中:私の議論は多少変わった議論かもしれないですけど、われわれが外務省の中で外交を考えていたときに、外交と国内改革というのは表裏一体だったんですよ。というのは、実は政治的な面でも安全保障の面でも経済的な面でも、日本という国は非常にハンディキャップを背負っていた。それで、経済面で、市場メカニズムに基づいていかに効率化を図るかとか、安全保障面で日本としてのきちっとした役割を果たすとか、政治面で日本の主張をきちっと述べて一定の国際関係をつくるといった点において、やっぱり日本は欠けているところがあった。
 したがってわれわれの発想というのは、外交を使ってでも、国内の改革を進めていきたい、ということだったんです。特に経済の問題においての「外圧装置」というのは、まさに国内の改革を進めるための便利な仕組みだった。外交の任に当たっているわれわれが「国内改革をしていきたい」と思っていたわけです。普通の国であれば、本来そんなことはあり得ないんです。
 国内の問題が先にあって、その中で国内で有している手立てをもって外交していけばいい。ところが日本の場合には、外交の手立てというものがそもそも欠けているから、その手立てをつくるために外交を使うというような意識を持ってやってきたんですね。それが戦争直後は戦後処理ということでやってきたし、それから安保の改定の際には事前協議制度を盛り込むということでやってきた。それから六○年代、七○年代には援助をドーンと増やしていくということであったし、八○年代に市場開放をやっていくということであった。そして九○年代においては、日本の安全保障のかたちをつくるという作業をしてきたのも、そういうことだった。
 そしてそれは多くの場合において、アメリカの力を活用しながらやってきたのは間違いない。だからそういう意味では、対米関係というのは実は日本にとっての外交戦略そのものだった。
 (中略)
 それからの脱却ということは、いまから始まるんじゃないでしょうか?


 異端かもしれないと断ってはいるものの、しかし、
 「外務省の中で外交を考えていたときに、外交と国内改革というのは表裏一体だった」
 とは、実に新鮮な驚きを僕は感じた。
 それも、やはり「外交の道具づくり」という田中氏の語る外務省の積年の宿願の一環と考えられるのだろうが…


 
田中:それから冷戦時代の、座標軸がはっきりしている時代には、日米同盟関係の枠内で活動していけば済んだわけですが、だんだん自前の外交をするようになってきたときに、どうしても外交を支える強い知識社会が必要になってくるわけです。例えば北朝鮮との交渉もそうですけど、総理大臣や外務大臣、官房長官と相談しながら水面下で進めてきた交渉の一端が明らかになった途端、世の中は非常に感情的な反発を示したわけです。

田原:田中さんはその標的になった。

田中:そういうときに知的な社会から、「もう少し長い目で物事を考えるべきだ」とか「朝鮮半島問題にはこういう要素もあるじゃないか」という議論がなかなか出てきにくい状況になっているんです。そういうものの支えがあれば、もう少し、能動的な外交が進めやすくなるはずなんですがね。
 まあこれは外務省の責任でもあります。というのは、そういう社会と十分な連絡とか調整をこれまであまりしてこなかったわけですから。そういう、外交を支えるコミュニティをつくっていかないといけません。

田原:外交を支える知的な社会、コミュニティというのは、いったい何ですか。

田中:それは例えばシンクタンクと呼ばれるような研究機関です。アメリカなんかには、そういうものがたくさんある。そういう研究機関の研究者が、時には政権の中に入って、シンクタンクと政府との間を行ったり来たりしているわけです。財界と政府の間にもそういう関係があるわけです。
 しかし日本を見てみると、そういう知的セクター、つまりシンクタンクとか政策提案機能を持った機関がどんどん少なくなっているんです。
 しかも、アメリカなんかでは研究機関にたくさんの寄付が集まるのに、日本のそれはどんどん資金が細っている。日本の経済力がどんどん衰退していけば、この部分がさらに細っていきます。それは国内の外交に対する支持が薄れていくことに直結しかねません。
 同時に、外務省は、シンクタンクとか財界人も外交の重要な主体であると認識すべきだし、日本の外交官もそういう人たちとも協力して十分に情報を発信していかないと、外交が上手くいかなくなってきている。
 よく外国からは、「日本が何を考えているのかわからない」という批判がされるじゃないですか。日本の外交官にしてみれば、「そんなことはない。われわれはきちんと主義主張を諸外国に対して述べている」と思うかもしれない。でもそういうことを、相手国の政府だけじゃなく、財界人や研究者に対してもきちんと発信していかないといけない時代になっているんです。日本という国が国際社会でこれからどう扱われるかは、欧米の新聞が日本のことをどう書くか、そういうことまで関係してくるんです。
 いまアメリカは中国一色です。それは中国がそういうことに対してものすごくお金を使っているからでもあります。
 (中略)
 中国のシンクタンクを覗いてみると、膨大な数の英語を話せる人材をそろえている。彼らはアメリカに行ってどんどん議論をしています。
 『フォーリン・アフェアーズ』という外交論文を扱う雑誌がありますよね。近年、あの雑誌に寄稿した日本人はいないと思いますが、いまや中国人は何人も執筆者に名を連ねています。国力というものは、軍事力とか経済力とかいろいろな力がありますけれど、そういう知的な力も強化していかないと日本はどんどん立ち遅れてしまいますよ。




posted by Shu UETA at 23:52| Comment(0) | TrackBack(1) | 天下-安全保障・外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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