ところが買った本の話ではなく(良いものであれば追ってまた紹介)、身体操作的なお話。
僕は本屋に行くと、書架を見てまわりながら、「歩み」の確認であるとか試行であるとかを併せて行なっていることが多い。
というのも、「動き」というのは、ゆっくりした動作においてこそ、正確性であるとかブレの具合とかが意識されやすく、書店で本を見ながら一歩、また一歩と移動していくのは、まさにうってつけ。
うってつけと言うとおり、実際、こうした習慣は、意識的に始めたのではなく、本屋で歩いているうちに、「お、いい稽古になるな」と、自然発生的にいつしか習慣化したもの。
特に僕は池袋であれ神戸であれ大阪であれジュンク堂書店が大のお気に入りなので、あのゆったり広々した通路スペースの具合が上記のような習慣のきっかけになったのだろうと思う。
最近は新たに試行中のモデルやテーマもなく、書店では恒常的に体軸や重心の移動、かかと移動等といったことの確認と定着が専らだったのだけど、今日ふと、新しい感覚にゆきあたった。
それは、踏み出す足と反対側の足に荷重をかけて、そのまま体軸は中心にピタっと固定したまま片足を踏み出すというもの。
正確には、その「荷重を与える感覚」。これがどうもサスペンションの感覚に近いように思えた。
一歩を踏み出す、ということについては武術を始めたごくごく初期の頃以来、僕のこだわりのテーマのひとつ。
その試行錯誤と開発、発展の始終は今日は省略しておくとして、
たとえば今回は、本屋で書架の前、本を眺めながら横に移動していく場合に、今日のところは仮に大きく3つのパターンを想定してみる。
一つは、ごく普通に歩くのと同じもので、武術的な有効性を一切考慮しないもの。
基本的には、どちらの足から動かすにせよ、あげる足と反対の足側にいったん重心を移し(もしくはもともとそちらに重心をかけ続けていた状態から)、そして足をあげる。
あるいは、進む方と反対の足で、たとえごく小さくであれ、地を蹴って動きをつくる。
これらは、歩幅が狭いと意識されにくいけれど、少し歩幅を広げてみれば明らかにわかる内部動作だ。
ちなみにもし武術的観点で見るならば、歩幅が小さく、よって重心をいったん移す内部動作がいかに小さくても、そこで動作が一拍遅れるし、または、見る目がある対者が見れば動作の起こりが手に取るようにわかる。
蹴る動作についても同様だ。
前者については、括弧書きしたように、仮に一方の足にあらかじめ重心を移してあれば、動作の起こりを見せることはないだろうが、しかしそちらに重心がかかっていることは見て取れるため、動く方向が読める。それと逆に動こうとするならば、重心を移しなおす動きは通常以上に大きくなり、目立つし、拍子の遅れも大きくなる。
そうしたことから、武術的には違う方法が求められるし、あるいは舞踊等では動作の美しさの観点からやはり別の方法が求められる(目的は違えど、基本的に両者のとる解決法は一致してくる)。
先ほどは武術的観点から見たが、動作の美しさというのは例えば動作の滑らかさといった観点であり、先の話でいうと、重心をあらかじめ移動する際に、いわば「よっこらせ」という動きが出る、つまり動きに段差が出てしまう。
そこで、別の方法ということだが、今日は仮に三つのモデルということだったので、上記をその第一とすれば(「普通の歩み」にも他の型はいろいろあるが)、次に他の二つの例をあげてみると、
ひとつは、
重心移動などせずとも、片足を上げれば必然的にバランスが崩れるのであるから、その崩れをそのまま利用して、崩れていくことにより進むというもの。
(今回は書店で横向きに移動という設定なので、通常の前進とは異なる想定下にある)
書架に向いて、重心は自身の中心に普通に保っている状態で、ついと左足をあげる、正確にはあげようとすると、身体は左に崩れようとする動きを得る。(足をあげる側に向かって勝手に重心が崩れる。その重心の崩れ=動きを利用)
そのまま左足を半歩ないし一歩すすめて、スムーズに右足へとつなげていく。
(動き出してしまえば、スムーズに動くことは難しくない。最初の一歩のスムーズさが常に問題となる)
この型では、重心線は中心に保ったままであるので、左右果たしてどちらへ移動するかを見てとることはできない。そして、重心移動のような一拍も無くそのまま突然に進みたい方向に進むので、動作の起こりはきわめて小さい。また、仮に起こりがあったにせよ、動きは速いものとなる。
(今日の直接のテーマではないので省略するが、「バランスの崩れ」という動きは非常に速い動きを可能とする)
ただし、これの欠点は、動きの中での停止や方向変換が不可能だということだ。
「崩れ」はじめれば、次に踏み出した足を踏みしめるまではいわば半空中状態であって、空中にある間はどうしようもない。(もちろん、ごく短いタイムスケールの話ではあるが)
もうひとつは、
重心移動による移動ではなく、したがってやはりこれも重心線は中心に保ったまま、進みたい方向側の足の股関節の回転で反対側の足を引き寄せる(つまりその足をあげさせる)というものだ。
これは重心移動を伴わないこと、さらには股関節から起こる動きというものの内部性、深度、そして日常的な動きのパターンに属さないということによる認識性の低さから、起こりはキャッチされにくい。
また、地面を蹴る動きを伴わないので、動きの起こりから移動までの速度が速い。
この感覚は、足幅を広くすればするほど実感しやすい。
例えば、野球でランナーが次塁をうかがってリードしている際の姿勢のように足を広げて行なえば非常にわかりやすい。このように両足の間隔を広げた状態で、左右いずれにも、反対側に地面を蹴ることなく動くということを練習して感覚を養えば、徐々に幅を狭めて、ごく通常の立ち姿、肩幅ないしそれ以下の足幅でもこれを使うことができるようになる。
実際には他にもパターンはあるが、今日は仮に(普通の歩きパターンを含め)3パターン、しかも横向きに移動するということで例をあげた。
どうもここまでの前置き説明が長くなったが、
で、今日新しく得た感覚というのは、
たとえばやはり横向きで、左に進むとした場合、左足を上げて進むにせよ、右足を上げて左方向にクロス気味に第一歩にするにせよ、上げる足と反対側の足(つまり軸足となる方)で「地面を踏む力」=「荷重」を内部的に新たに加え、反対側の足をあげても重心バランスの「崩れ」が起きない(あるいは起きにくい)ようにする、といった感覚だ。
例によって本を見ながらゆっくり動いていたのだけれど、前述に言う「崩れ」を利用するパターンで、その動きを最大限まで「遅く」「ゆっくり」にしていったところ、あるところで、軸足側の内部に新しい力の感覚を感じた。
普通に考えて、地面を押せばそれは身体を上に動かす動きとなる。壁を押せば身体は壁から離れる方向に力がはたらくのと同じように。
しかし今回得た感触は、これを「身体が地面を押す」というよりも「身体内部で地面を押す力をたわめる」とでもいった操作を行なう感覚だ。
うまく伝えられないのがもどかしいが、身体内のスプリングで、体内でそのスプリングの上を持って地面に押しつけているような感じ。
これも、車やバイクが好きなひとにしか通じにくいかもしれないが、
感覚の印象として僕が思い浮かべたのは、車のサスペンションだ。
近頃はそんな羽目に遭うこと自体なかなか無いかもしれないが、特にFR車などでたとえば泥地などに後輪をとられて脱出し難い場合、ブレーキをかけてアクセルを踏む(通常はサイドブレーキなど)ことで、後輪を地面に押しつけてトルクを地面に伝えるような。
あるいは単車に乗る人、かつそこそこ走りを追求してみたことがある人なら、速度を落とすためではなく、地面に向かう荷重を与えるために「フットブレーキを軽くなめる」ということを想像してもらえると思う。こうした操作は、ギュウっと後輪タイヤを地面に押しつける力を生む。
このサスペンションの感覚が僕としてはいちばんしっくりくるのだが、より直接体内的な感覚で言うと、身体の高さを保ったまま片足で地面を強く踏む感じだろうか。
わかりやすいのは、例えばごく軽く膝を曲げている状態で、その曲がりのまま片足で地面を強く踏む、身体の高さが上に移動することはないように。つまり、上をふさいだ状態で下を踏む、したがってそこにバネをたわめているような力感が生じる。(ただし、足裏での力点は、あくまでくるぶしの内側の直下)
未だ感覚を得た取っかかりであって考究はこれからのことなので、まだ漠然としているが、なんとなく感覚としては内転筋の意識を濃く感じる。
この操作(感覚)によると、踏み出す側の足を相当にゆっくり動かすことができるうえ、足幅がそう大きくなければ、若干の空中停止も可能、つまり、完全に片足に重心ごと乗っかってしまわない態勢で、しかし片足立ちをしているような感じか。(もっと突き詰めれば、面白いことになりそうだ)
本屋だったので人目もありあまりできなかったが、これは横移動ではなく、普通の前進での一歩の踏みだしにも同じように使えた。
しばらく吟味工夫してみて、整理がついた時点でまた紹介してみたい。
今日は、新しい感覚発見の喜びまで。 ^^)
【関連する記事】
暖かい地方から来た人は、冬の北海道人の歩き方をみてもさほど違いはわからないと思うのですが、夏の歩き方と実は全然違います。夏と同じに歩いていたら、えらい勢いですっころびまくりますので(^^;
自分自身を観察する分には、二通りあります。
一つは、重心の移動を、夏の歩き方のときより遅くする方法。大げさにいうと、けり足(たとえば右足を前に出すときは左足)に重心をおき、前方にではなく真上に体をもちあげ(実際にもちあがるわけではない)、空中で移動ベクトルを前方に変化させます。で、右足で着地。着地したらすみやかに体を右足の上に移動させ、重心を右足に移動します。このとき、重心のかけかたは、垂直方向になるようにします。これの繰り返しで歩きます、あるいは走れます。
二つめの方法は、すべることを前提として動くのですが、この方法は、エントリー記事とはあまり関係ないので割愛(^^;
さすが本場ですねっ
僕も、凍結路の歩行はぜったい良い稽古になるに違いないと思っているのですが、そうしたことにこだわりはじめてからは北海道に行ってないんですよね >_<)
で、思い出しながら考えたりはするのですが、toyboxさんの説明は非常にわかりやすいですね。
僕も、今度冬に北海道に行ったら試してみようと思っていることがたくさんありまして ^^)
しかし、あの凍結路面、まして凍結の上に薄く雪が乗っているような道を、歩く、あるいは運転する感覚というのは、体験してみないとわかりませんよね〜
二つめの方法というのも、ちょっと興味がありますが。
今ちょっと外を歩きながら考えたんですが、
> 真上に体をもちあげ
太ももの前部ではなく、大腰筋で足を引きつける感じに
> 空中で移動ベクトルを前方に変化させます
軸足の足裏で、くるぶしの真下を支点に踵側に踏む動きで前方へのモーメントをつくる
という具合に、僕の現在のメインの方法論にも合致するように思いました。
やはり、内部観察眼を澄ませてみれば、基本的方向性は同じところに整理されてくるのでしょうね。^^)
これもあらためて思い出してみると、踏み出す直前は、一つ目の方法と同じで、けり足側に重心をかけて上に持ち上げ、バランスを前方に崩して踏み出す、というところでは同じような気がしてきました。ただし、前方への崩れというよりは、意識して前方方向へのベクトルを与えます。これは、接地後、意識して足をすべらせる、という目的からです。また、意識も踏み出す側の足に集中します。
接地まぎわの動作は次のようになります:
踏み出す側の足に意識を集中し、早めに重心移動を行い、接地と同時に重心を踏み出した足の真上に移動します。接地後は、基本的に、踏み出した足の上に乗り、意識的にスーっと路面上をすべらす要領になります。こちらもおおげさに表現すると、はたからみるとスー(左)、スー(右)、スー(左)、スー(右)というようなリズムになりますし、姿勢は前傾になりがちで、また、一つ目の動作
に比べて、より大きな体の動きになります。このような歩き方をしている人は、その動作に、より広い空間を必要としますので、あまりいないかもしれません。
> 軸足の足裏で、くるぶしの真下を支点に踵側に踏む動きで前方へのモーメントをつくる
まさしくこんな感じです。
自分の歩き方を分析すると面白いですね:-)
なるほどっ
ちょっとノルディックを思い出しました。
いずれにせよやはり、重心の落としどころというのがひとつのポイントですね。
> 自分の歩き方を分析すると面白いですね:-)
はいっ
動きの分析ということは、面白いです。
無意識にやっていることを意識してみると、いろいろなことがわかったり。
toyboxさんのようにシステマティックな思考力があるひとなら、なおさら面白いと思います。^^)
まず、素裸で鏡の前に立ち、鏡に向かって歩行して観察します。両足立ちから一歩踏み出すとき、支持脚側の股関節の位置よりも遊脚脚側の股関節の位置が高くなります。これは脚を上げるという行為が、骨盤の位置まで変えてしまう、すなわち丹田を傾かせ、力のロスを招いてしまうことを意味します。
したがって、遊脚側股関節の位置を上げないために、坂道を下るように、遊脚を着地させます(八卦掌等の歩行訓練で、頭に水の入ったコップを乗せて歩くのがありますが、あれは股関節の位置を常に水平にするためです。肩の上下や頭の上下をさせないためにするのではありません。股関節の位置にねじれが生じると、ほかの部位で調節しても無駄です)。よって、大腿四頭筋ではなく、ハムストリングスを使うことになります。これはまた、タントウ功の要求とも合致しますので、練った力をロスなく対敵時に使うことができます。骨盤はどのような状況でも、丹田から一滴も水がこぼれないように位置させねばなりません。
はじめまして
ハンドル名を拝見して、「双重の病」との戒を思い出しました。^^;)
骨盤の傾きについては、僕も同感です。
近頃は、重心を真っ直に落とした状態で、足裏の支持点をずらすことで動きをつくることにハマってます。
(ハマるってのも表現としてどうかとは思いますが ^^;)
今後ともよろしくお願いします。
近頃めっきり武術/身体関連の記事をupしてませんでしたが、またいろいろ書いてみたいです。