
今日は、友人が東京から会いに来てくれた。
格別の用事もなく、というところが、また実に嬉しいものだ。
昨夜突然に思いつき、今日来るというフットワークが、また実に嬉しい。
職場の後輩だったが、ある意味こうして多少なりとも慕ってくれるなんてことは、本当に有難いことだと思う。
感一入であるとともに、頑張らねば、との思いが新たになる。
彼は、後輩、といっても一期しか違わない。年齢もたった一つ。
1年ばかり同じ職場にいたものの、互いの仕事上での接点があまりあるわけでもなく、そう親しく口をきくということもない1年だった。
それが、とある研究課題に共に参加したことがきっかけで、親しく言葉を交わしもし、人柄や能力に触れることになり、僕は彼が気に入った。それまであまり話していなかったことが不思議なくらいだったが、いざ気に入ったとなると、あとは時間を要さない。人が意気投合するときとは、こうしたものか。
しかし、すぐに僕は仕事を辞めたし、関東を離れ、とりあえず神戸に帰郷してきたしで、実質、近くでまともに語らえたのは二ヶ月ばかり。
彼がわざわざ会いに新幹線に乗ってきたのは、既に今日が二度目。
実に有難い。
彼は今回も、「ちょっと刺激を受けに」と言って会いにきた。
僕は正直、現時点では、さほどの刺激にもなれないが…と感じ、言いもしていたが、実のところ、逆に僕自身には大いに刺激になった。
自分の志は自分の志なんだから、本来他者に関係なく動機づけられているものだが、しかし、それなりに何らかの期待をしてくれている人に会えば、「まあ、待っていろ」とばかりに、ますます気は引き締まる。
彼は彼で、僕は僕で、それぞれに、会うこと話すことで自分なりに刺激を受けることができるとすれば、それは何と素晴らしいことだろう。
しかも、「去る者は日々疎し」とも言う。しかるに、こうして時が経っても、用事もなく会おうといって東海道を下ってくる友がいるとは、本当に果報者だ。
僕は、大いに人を巻き込むつもりだし、現に巻き込みつつある。そんな人たちを落胆させるつもりはない。一緒にやることで、皆んながそれぞれの自己を実現させることができるような、いわば器であり旗になるつもりだ。
しかし、人は、何かをずっと待っていられるものではない。待っていろと言って、待っていてくれるには、一種の信頼感が不可欠だ。そうした何らかの信頼感を持っていてくれる人がいるとは、我ながら不思議と思えるほどに有難いことだ。
決して裏切るまい。
【関連する記事】